波の音やココナッツオイルの匂いなど、3年ほど暮らした東南アジアを回想するスイッチになるものがいくつかあります。
そしてにわとりが鳴いている絵やニワトリの鳴き声もそのひとつです。
ニワトリの鳴き声を聞くと、一瞬にして自分があの国で生活していた匂いや音などに包まれる感じです。
子どもだった1960年代はまだニワトリの卵は高価で、遠足にゆで卵を持って行けることがごちそうだった記憶もあります。
「明治〜平成 値段史」を見ると、1965〜70年頃は卵1個13円から14円に対して、1975〜85年頃は22円ぐらいですから、一見卵の値段が上がったように見えますが、所得や生活全般に良くなったので1980年代に入ると卵はごく普通の日常の食料品の感覚だったと思います。
また子どもの頃は、今のように無精卵をパックしたものではなく、平飼いされていたものをいくつか買ってきたので、卵を割ると中に血管ができ始めているものもありました。
現在のようにきれいに洗浄・パックされた無精卵の卵に変化したのはいつ頃なのか検索したら、「日本の採卵養鶏」に「近代養鶏は、1960年頃(ころ)アメリカから紹介されたケージ飼育法と、丈夫で性能のばらつきが少ない卵用銘柄鶏の輸入により始まりました」とありました。
私が子どもの頃が、ちょうど養鶏の転換期でもあったのですね。
小学校で飼育していたことと、養鶏場が住宅街から少し離れたところにがあったような記憶もあり、ニワトリは身近ではなくても珍しいというほどではない動物でした。
<一番鶏におどろいた>
暮らした東南アジアのその国では、首都のような都市部でも公設市場ではニワトリが生きたまま売られていましたし、住宅街でもニワトリを飼っている家がけっこうありました。
それこそ庭のあちこちをニワトリが走っていたり、バスや乗り合いバスにも買ったばかりのニワトリを持って乗る人もいましたから、乗り物の中で足をつっつかれたり、足元にニワトリの体が密着してきたり、身近な動物というよりも一緒に生活しているような動物でした。
いつもどこかで、ニワトリの「クック、クック」という鳴き声が聞こえるような生活の中で、初めて知ったのが、ニワトリの時の声というのは真夜中であることでした。
夜中の2時ごろに、突然、ニワトリの鳴き声で目が覚めた時には本当にびっくりです。
なんとなく「夜明けとともに鳴く」のが「時の声」だと思っていたので。
コトバンクの「世界百科事典」「ニワトリ(鶏)より」には、「鶏の鳴声は時を知る手だてとされ、丑(うし)の刻(午前2時)に鳴くのを一番鶏、寅(とら)の刻(午前4時)に鳴くのを二番鳥といっていた」とあるので、やはり一番鶏というのは真夜中に鳴くのですね。
<ニワトリの歴史のようなもの>
ニワトリの鳴き声からいろいろ検索していたら、イセデリカ社の「今や庶民の食材"卵"。その歴史はというと・・・?」というコラムにこんなことが書かれていました。
卵が食卓に登場するようになったのは江戸の初め頃。それまでは「卵には魂が宿っている」「卵を食べると祟りがある」と言われてきたそうです。
Wikipediaのニワトリの「中世・近世のニワトリ」には、その変化の理由がこう書かれています。
江戸時代には無精卵が孵化しない事が知られるようになり、鶏卵を食しても殺生にはあたらないとして、ようやく食用とされるようになり、採卵用としてニワトリが飼われるようになった。
「江戸時代には無精卵が孵化しない事が知られるようになり」というその行間にはどんな歴史があったのだろうと、また興味が沸いてきます。
そのニワトリの鳴き声も案外とまだわかっていない世界らしく「おんどりの朝の鳴き声、序列の高い順から 研究」というニュースがありました。
夜明けを告げるおんどり(雄のニワトリ)の鳴き声の順番は、集団内の序列で決まっているとする、ニワトリ界の長年の謎を解明した研究結果が23日、発表された。最上位のおんどりが朝一番の鳴き声をあげる一方で、格下のおんどりたちは自分の番を辛抱強く待っているという。
2015年7月24日 AFP
あの2時過ぎに鳴くのは最上位のおんどりだったのですか。
それにしても、なぜそんなに早い時間に鳴くのでしょうか。
格下のおんどりが「自分の番を辛抱強く待っている」のかは、人間の想像でしかないニワトリの気持ちなのでわからないですけれどね。
ニワトリの鳴き声、奥が深いですね。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。