食べるということ 54 とり天

今回の岡山から広島の散歩では何を食べようかと楽しみにしていたのですが、結局、名物らしい料理は岡山駅で買った祭り寿司だけでした。

列車の時間の関係で開いているお店に入れないことが多く、コンビニのお世話になりっぱなしでした。

 

唯一、お店で食べたといえば、広島駅で呉線に乗る前に食べた駅そばでした。

なんと「とり天」のお蕎麦があり、迷わずにそれにしました。衣もさっくりしていたし、お蕎麦も美味しかったです。

 

*初めてとり天を食べたのはいつか*

 

初めてとり天を食べたのは10年ちょっと前でしょうか。近くのスーパーの惣菜売り場で見つけました。唐揚げともまた違う美味しさで、やみつきになったのですが、しばらくすると店頭から消えました。

やはり唐揚げの方が根強い支持があるのかと、残念でした。

数年前の少し寒い時期に、井の頭公園から三鷹まで玉川上水沿いに歩いた後、冷えた体で駅に向かったところ、駅北口で立ち食いそば屋さんのとり天そばが目に入りました。

とり天とそばと、絶妙な美味しさでした。

三鷹に行く機会があったらまた是非と思っていたら、駅ビルの改築で無くなってしまっていました。

 

とり天、ありそうでなかなかお目にかからない食べ物です。

 

*とり天と鳥唐揚げ*

 

今では日常的な食べ物の鳥唐揚げですが、1960年代はほとんど食べた記憶がありません。70年代ぐらいになって小学生の頃には、クリスマスに骨つきの鳥もも肉を揚げたご馳走が家庭でも作られるようになったような記憶です。

 

今のような唐揚げを頻繁に食べるようになったのは、80年代ごろのような気がするのですが、どうだったのでしょうか。あくまでも私の家の話ですが、70年代になると食用油も廉価になって、トンカツや海老フライも家庭で揚げるようになったのですが、揚げ物は「ハレの日の食事」という感覚は残っていました。

 

ということでWikipediaから揚げを参考にしてみました。

「歴史」の最後の部分に、ああやはりと、記憶が蘇ってきました。

戦前から先述の外食レストラン初の三笠会館の「若鶏の唐揚」はあったが、一般料理として外食店や家庭に広く普及したのは戦後からで、戦後の食糧難に対応するため九州等で養鶏場が作られアメリカのブロイラー技術が輸入されて増産されてからである。食肉用ブロイラーが生産されるようになると、ローストチキンやフライドチキン、唐揚げなどに調理され、高度成長期以降の1970年代からは、アメリカのケンタッキーフライドチキンが日本にも紹介されて普及し、香辛料の効いたフライドチキンも外食メニューの1つになっていき、醤油味をベースにした唐揚げ販売店も人気となっていった。 

 

私が中学・高校生の頃、井の頭線に乗って新宿へ出かけた帰りには、高井戸にあるケンタッキーフライドチキンを買って帰っていました。1970年代は、唐揚げよりはケンタッキーフライドチキンの方が先になじんだという感じです。

 

十数年前に初めてとり天を食べたときに、大分の郷土料理と知ったのですが、いつでもとり天が食べられるなんてうらやましいですねえ。

 

同じ鶏肉なのに、料理によってほんと美味しさもいろいろですね。

次はいつ、とり天に出会えるのでしょうか。

 

 

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