食べるということ  41 親子丼

ちょっと遠出をすると、その地域の食べ物をべてみようと楽しみにしています。

ところが、結局、親子丼にしてしまうことが多いのです。しかも、その地域の麺類がセットになったものです。

なんでしょうね。あのツユの香りに誘われるのでしょうか。

 

秋田では比内鶏の親子丼でした。

軽く炙った鶏肉が入っているのが特徴のようで、初めての味でした。

漬物はいぶりがっこで、セットになっている麺類は稲庭うどんでした。

どれも美味しくて、うどんのおつゆまで飲み干してしまいました。

 

今回、郡山でも親子丼に引き寄せられました。

川俣シャモの親子丼と書かれていて、初めて聞く鶏の名前です。

こちらは少し硬めの歯ごたえのある鶏肉で、なんとも味わいがありました。

漬物はきゅうりと大根のぬか漬けかと思って口にしたら、大根はべったら漬けのようで、これはこれで美味しくて、この漬物だけでもご飯がすすみそうな逸品でした。

蕎麦は会津産のもので、わらびが乗っていて、これもまた絶品でした。

 

親子丼といっても全国いろいろな味がありますが、どれも安定の美味しさですね。

 

ふと、子どもの頃にはあまり親子丼を食べた記憶がないと思い出しました。

1960年代から70年代は、タンパク質が足りないという時代から少し食生活が豊かになって、豚肉や卵は結構食卓に乗るようになったのですが、鶏肉はあまり食べた記憶がありません。

もしかしたら、卵と鶏肉を一緒に使うなんて贅沢品の一種だったのでしょうか。

 

Wikipedia親子丼を読んでも、いつ頃からかはよくわからないのですが、以下の箇所を読むと私の記憶もあながち間違いではないのかもしれませんね。

一方、日本橋人形町にある軍鶏料理専門店「玉ひで」が主張する説によれば、1887年(明治20年)頃、鳥寿品(とりすき=軍鶏鍋のこと)の最後の〆として鍋に残った煮汁を卵とじにして、白飯のおかずとして食べる客がいたという。五代目店主の妻、山田とくは「親子煮」と呼ばれていたこの食べ方を盛り切りの丼飯とすることを考案したが、「汁かけ飯を店で出すと格が落ちる」という当時の風潮から、出前専用の料理として提供されるようになった。玉ひではその後、親子丼の元祖としてマスコミにも取り上げられるようになり、1979年(昭和54年)からは店内でも提供するようになっている。

 

親子丼は家庭で気軽に作るというよりも、ハレノ日に食べる食事という気持ちが私の中にどこか残っているのかもしれません。

 

次は、どこのどんな親子丼と出会うのか楽しみです。

 

 

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