母乳育児という言葉を問い直す 16 <母乳育児推進とひとり歩きする統計>

昨日の記事アメリカ小児科学会の「アメリカにおける母乳育児への取り組み」で、「アメリカでは1950年〜70年代に(混合栄養も含めた)母乳哺育率が出生直後で30%未満、6生月で10%未満」という統計を紹介しました。


日本では同じ頃、どのような状況だったのだろうと探してみるのですが、統計そのものがないのかもしれません。
時代の反動で揺れることで、「特集 母乳育児のすべて」(「小児内科」、東京医学社、2010年10月号)では「昭和30(1955)年代に母乳育児は壊滅的に減少した」と書かれているのですが、それはどの統計からそういう結論が出たのかもよくわからないという疑問を書きました。


1970年代の母乳哺育に関する統計は見つからないのですが、1980年代からの統計は厚生労働省が2007年に出した「授乳・離乳の支援ガイド」の「授乳に関する現状」を見ると、1985年(昭和60)には生後1ヶ月で「母乳のみ」が49.5%、混合が41.4%、3ヶ月でも母乳・混合あわせて90%以上の方々が母乳を続けています。


本当に、1970年代までは「壊滅的だったのだろうか」という疑問が出てきます。


そして何より重要なのは、「完全母乳の定義とお母さんたちにとっての『完全母乳』」でも書いたように、そもそも「母乳のみ(完全母乳)」の定義さえ明確でなく、「混合」「人工乳」もまた定義が決められていないものです。
一日に2〜3回は母乳を吸わせても「ほとんどミルク」と感じて「人工乳(のみ)」に○をつける人もいることでしょう。


「『授乳・離乳の支援ガイド(仮称)』策定に関する研究会」の第1回議事録にも、瀧本委員の以下の発言が記録されています。

ただしここで言う完全母乳の定義はレビューされた論文によって少しずつ異なっており、母乳以外の水を含む一切の水分を摂取させないといっった完全母乳栄養から、母乳以外の果汁、育児用粉乳などは与えないがその他水などは摂取させている場合も完全母乳としているものまで定義にばらつきがあるという結果でした。

冒頭のアメリカの統計もどのような定義に基づいたものかわかりませんが、こうして日米の統計を並べてみると、「以前は母乳で育てていたのに、1950〜70年代頃までに母乳栄養を選択する人が激減した」「その原因は人工乳を使うことで母乳をあげる女性が少なくなった」というイメージに誘導していくかのような統計なのかもしれません。


<統計がひとり歩きする>


そのような統計から想起されるイメージというのは、社会に広がりやすいのではないかと思います。


たとえば「UNCEF/WHOの『母乳育児成功のための10か条』の視点からみた関東6県における母乳育児の状況ー第1報:母乳育児支援の現状ー」という文献抄録では以下のように書かれています。


わが国の母乳育児の推進を生後1〜2ヶ月未満でみると、1960年に70.5%であった母乳育児率が、1970年には31.7%まで低下した。1975年に厚生省は、母乳育児を推進するために3つのスローガンを掲げた。結果、1980年の母乳育児率は45.7%に上昇しているが、1990年44.1%、2000年44.8%と、20年以上、母乳育児率に大きな変化はない


1991年にWHOが「完全母乳栄養(Exclusive breastfeeding)」という言葉を使いだしたわけですが、そういう言葉がない60年代70年代と、90年代2000年代では統計の意味も大きく変わるのではないかと思います。


「完全母乳」という言葉ができたあとの2000年代の44.8%というのは、60年代頃とは違って、「重湯や果汁どころか水一滴も足さない、文字通り完全母乳」を実施している人が増えた可能性もあるわけですから。


それにしても日本は安定して8〜9割以上の人がなんらかの形で母乳哺育を続けているのですから、こちらのブログの以下の部分に私も同感です。

どうやら、「諸外国では近年母乳率が高まったが日本では低いままである」という前提自体が、「混合も含めた母乳哺育」と「完全母乳栄養」とを混同した上に成り立つ「神話」のようである。日本の母親たちは、他の多くの国の母親たちよりも長く、熱心に母乳を与え続けているのである。

ところが、出産でも「昔とはいつだったのか」イメージだけでの理想が広がったように、この1950年代〜70年代を境に人工乳の広がりとともに「母乳哺育だけで育ててきた昔」が失われたかのようなイメージも広がっていくのかもしれません。



たとえば、「母乳栄養と健康」(大江敏江、聖学院大学論叢,21(3))という論文では「9.考察」に以下のように書かれています。

わが国には、1950年頃まで家庭での出産と母乳育児の伝統があった。しかし、その後のおおよそ20年の間に、自宅での出産は、病院・診療所での出産に、出産に立ち会うのは、助産婦(女性)から医師(多くは男性)に変わった。このことは乳児死亡ならびに妊産婦死亡数の減少に貢献した。しかし、多くの病院や診療所で母子を別々にするスタイルが広く浸透したこと、新生児に安易に人工乳を与えてしまう、など出産をめぐる状況が大きく変化し、長く続いた分娩直後から母子が一緒で母乳のみ与えるという伝統が破壊されてしまった。


本当ですか?
どこからかそういう言説(イデオロギー)に影響されているのではないでしょうか。


「自然なお産」と「完全母乳」「母乳育児推進」が似ているのは、事実を掘り起こすことよりも、理想郷が先にあって、その理想に合わせるかのように統計が使われていくあたりかもしれません。



そして「どこを切っても金太郎」で書いたように、母乳育児推進運動の広がりの中で、同じような統計の解釈がそのまま広がっていきやすいのだろうと思います。





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