母乳育児という言葉を問い直す 2 <「母乳育児」の定義はない>

周産期医学や周産期ケアの中で「母乳育児」という言葉が使われ始めたのですが、その明確な定義は無いようです。


「小児内科 特集 母乳育児のすべて」(東京医学社、2010年)には、冒頭の記事に「母乳育児とは」が書かれています。
その冒頭はこんな文章から始まっています。

英語のbreastfeedingに当たる日本語としては、母乳栄養という言葉が最も一般的に使われている。一方で、母乳育児や母乳哺育という言葉も使われており、それらの異同に関して論じられることはあまり多くない。
また、母乳栄養に対する言葉として、人工栄養や混合栄養がよく使われるが、どのくらい母乳を飲んでいれば母乳栄養で、どのくらいしか母乳を飲んでいなければ人工栄養なのかについても明確な基準がないのが現状である。
さらに、母乳栄養や混合栄養、あるいは人工栄養とした場合、ある時点での栄養方法なのか、それともある期間での栄養方法なのかなど、一口に母乳栄養といっても非常に曖昧な要素を含んでいることに注意が必要である。


純粋に栄養学的な視点から新生児・乳児期の「母乳栄養」についての定義さえもない、というよりできないといったところではないかと思います。


たとえばどのくらい割合で母乳を与えたかで、「母乳栄養と混合栄養」と「混合栄養と人工栄養」の境界線をどこに引くのかと考えただけでも、結論はでない問題ではないでしょうか。
できるのは、「全く1滴も母乳以外はあげなかった」「全く1滴もミルク以外はあげなかった」の白か黒かの答えの場合だけです。


「最初はほとんどミルクだったのが3ヶ月から母乳だけになりました」、あるいはその逆に「3ヶ月頃までは母乳だけだったのにその頃からミルクしか飲まなくなった」場合は、どう分類するのでしょうか?


というより、単純に栄養学的な視点だとしても、そもそもこのようにグレーゾンの幅広い状況を分類する必要があるのでしょうか?
「何ヶ月頃まではミルクを足した」「何ヶ月頃からは1日に1〜2回ミルクを使った」という事実そのものだけで良いのではないかと思います。


<「母乳育児を定義する必要性」>


「母乳栄養」という栄養の視点からの分類さえ不可能に近い話なのに、「母乳育児を定義する必要性」が書かれていました。

まず、なぜ母乳育児という言葉について定義する必要があるかというと、母乳育児の定義がはっきりしていないことで母乳育児の実態が正確に把握することができず、したがって母乳育児の有用性を十分に明確化できていないという現状があるからである。

その結果、母乳育児を推進する方策が取りづらかったり、母乳育児を進めていく根拠をはっきりと示せなかったりすることになる。
すなわち、母乳育児を広く推進していくためには母乳育児の定義をきちんときめておくことが大切となるわけである。


この文章の中にすでに矛盾が書かれています。
「母乳育児の定義がはっきりしていない」「母乳育児を推進する必要がある」


こうした方向性を、「常時離乳している」で紹介したように、すでに1970年代からダナ・ラファエル氏らは指摘していました。

問題の核心は調査を行う人々が母乳哺育をしている実情をつかんでいないために、的外れの決定を下すことが多い点にあります。
「常時離乳している(Weaning is always)こと」、したがって実際に行われているのは母乳と補完食の混合哺育であることを知っていたのは母親だけだったわけです。


その混合哺育については「母乳哺育はどのように行われてきたか」で紹介しましたが、その中にダナ・ラファエル氏がこう表現しています。

母親ががもっとも関心を持っている事項ーどうやって赤ちゃんの生命を保つかという問題

まさにそこなのだと思います。


それは液状乳児用ミルクを実現させるための署名活動によせられた、「完全母乳」で育てているお母さん達の不安からもわかります。


先日の「あまり理論化を急がないほうがよい」で紹介した鶴見良行氏の言葉が、やはりこの「母乳育児」にもあてはまるのではないかと思います。

もう一回こまかな事実をきちんと出して行くことが重要なので、あわてて理論化とか構造とかを立てる必要はないと思うのです。


「母乳育児」という定義を作り出してそれを推進することよりも、「どうやって赤ちゃんの生命を保つか」という部分で、社会の多様な状況や問題をまず把握することが先ではないかと思います。





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