母乳育児という言葉を問い直す 22 <母乳育児というイデオロギーにリスクマネージメントという言葉は通用しないのかもしれない>

少し間が空きましたが、以前紹介した「母と乳 第3部 生後のリスク/上 「3日分のお弁当」招く誤解」「同 生後のリスク/中 医療者の適切な介入を」の最後の記事です。


母と乳 第3部 生後のリスク/下 「お母さんは寝ないもの」
(2016年4月16日)


●身動きできない中


 やっと寝られる。そう思いながら眠りについたのもつかの間、助産師の声に起こされた。「お母さん、おっぱいください」。2015年3月。東京の女性会社員(32)が帝王切開で長男を出産した翌日で、まだ午前4時台だった。2時間おきの授乳を続け、意識はもうろうとしていた。


 呼びかけになんとか目を開けた。両脚は血栓防止の装置で固定され、片腕は点滴の針が刺さったまま。手術の傷も痛かった。体の向きを変えることさえできない中、助産師が長男を連れて来て胸の上でうつ伏せにした。乳首に口をあてがい、去っていった。


 不安的な体勢に「危ないのでは」と思ったが、意識が遠のいた。我に返った時、長男は左脇にずり落ちていた。静かすぎるーー。なんとか手を伸ばしてナースコールをした。


 長男は小児専門病院に搬送された。窒息状態だったとみられ、呼吸も心拍も止まっていた。対面した時は、人工呼吸器や点滴の管だらけ。元気な産声をあげ指を強く握ってきた姿はない。脳がダメージを受け、回復の見込みはないと診断された。


 女性は地方で里帰り出産した。知人の保健師に勧められ、年間1000件の出産を扱う大規模病院を選んだ。母乳育児への取り組みが評価され、WHO(世界保健機関)とユニセフ(国連児童基金)から「赤ちゃんにやさしい病院」(BFH)に認定されている。


 だが、長男が小児専門病院に転院してまもなく、この病院から新生児が搬送されてきた。長男と似た状況だったと聞いた。


 病院とは2回、話し合いの場を持った。「これまで同じような事故はなかった」と説明され、「お母さんは赤ちゃんを預けられたら寝ないもの」とまで言われた。


 病院は取材に対し、赤ちゃんの急変が相次いだことを受け、安全管理体制を見直したと明かした。出産後24時間は、すべての新生児に呼吸や脈拍などを確認するモニターをつけ始めた。母子が同じベッドに寝ながら授乳する「添い乳(ちち)」の危険性を指摘する論文があったため、添い乳は全面的にやめたという。


 副院長は「事故の原因はわからないが安全第一でやってきた。非常に残念」と述べた。


 BFHは「ベビーフレンドリーホスピタル」の略だ。産婦人科医長が振り返った。「ベビーフレンドリーであると同時に、マザーフレンドリーだったのかどうか。母体の状況を無視して、母乳育児を押し付けてはいけない」

現場任せの安全策


 母子同室の最中に赤ちゃんが急変した事故が、訴訟に発展した例もある。


 福岡県の女性(38)は09年11月、帝王切開で次女を出産した。痛み止めの薬でもうろうとする中、助産師が「赤ちゃんがおなかをすかせています」と次女を胸の上にうつぶせにした。女性は飲まないため隣りに寝かせたが、「呼吸が弱い」と思いナースコール。すでに心肺が止まっており、7年たった今も意識が戻らず自発呼吸もできない。


 女性らは病院に損害賠償を求め提訴した。1審は、帝王切開による疲労や鎮静剤の影響で、母親が我が子の面倒を見られないことが予測されたとして、賠償を認めた。控訴審では母子ともに以上の兆候はなく、事故の予測は困難とされ逆敗訴した。判決は「事故当時、母子同室などの時に医療スタッフが継続的に観察することを定めた指針は存在していない」と指摘した。女性は「母親が悪いように書かれショックだった」と語る。判決は今年3月に最高裁で確定した。


 出産年齢の高齢化もあり、帝王切開による出産は増え続けている。20床以上の一般病院では、14年に全国で24.8%に上り、約20年間で10ポイント以上増えた。日本助産師会の岡本喜代子会長は、母乳育児を軌道に乗せるためには、母子同室で同じベッドで過ごすことが望ましいとする。ただ、帝王切開や出産が長時間に及んだ場合は「痛みや疲労もあり、すぐに母子同室にするのはきついかもしれない」と指摘する。


 国立成育医療研究センターは母子同室を原則とするが、母親が出産で疲れスタッフが付き添えない時、新生児を預かる。センターの新生児科医で日本ラクテーション・コンサルタント協会の和田友香・教育研修事業部副部長は「安全のための対応」と話す。


 スムーズな授乳を促す産後の母乳指導。多くの病院が取り組むが、指導方法や安全策は現場任せだ。

●「いつか自宅で」


 出産から1年、長男が心肺停止となった東京の女性は、まだ数えるほどしか我が子を抱いていない。入院中の長男は人工呼吸器がはずせず、泣き声をあげることもない。それでも成長して手足は少しずつ大きくなっていく。


 一緒に過ごせる時間を増やそうと夫が転職し、2人は病院の近くに居を構えた。いずれ自宅で介護しようと考えている。


 息子の余命を考えると取り乱しそうになるという女性。怒りや悲しみを抑え、語った。「もう息子は、母乳を飲むことはできない。そこまでして母乳育児を頑張らなければならないのか。私のような思いをする人が、少しでも減って欲しい。

こんさんからお子さんのお話を教えていただいて、それ以前から「帝王切開当日から母子同室させる」ことを耳にして危惧していた危険性が、現実に起こっていることを知りました。


帝王切開直後という母体には危機的な状況にもなりうる状況で、授乳や同室が優先される。
その風潮はどこからきたのだろう。
なぜ、ヒヤリとしたことだけでなく重大な事故が起きても、それが「現場」に活かされないのだろう。


こちらの記事にこんなことを書きました。

1990年代頃からの「自然なお産」や「母乳だけで育てる」といった風潮が、なんだかとても万能感にあふれた危ういものに感じられてきます。
安全を手に入れたあと、まるでその前の時代の記憶が社会からなくなるような。


途上国や災害時といった本当にミルクが必要な状況にある母親にさえ、完全母乳を勧めるイデオロギーにもリスクマネージメントという言葉はうまれないのかもしれません。





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