水のあれこれ 42 <棚田、あの水はどこから来たのか>

5月の連休中に父の面会に行きました。


病院へ続く道には水田があって、ちょうど田植えをしていました。
普段はその道を通ってもめったに人に出会わないのですが、やはり田植えは家族総出なのですね。
と言っても、数人ぐらいでしたが。


月に3〜4回ぐらい、その道を通っていると、いつのまにか定点観測をしているらしく、ちょっとした発見があります。


3月の終わりから4月の初め頃に、一度田んぼが掘り起こされて、少し水が溜められていました。これは代掻きというのですね。
毎年のようにどこかで水田を見ているはずなのに、本当に知らないことばかりです。


高校生まで住んでいた地域ですが、蛙の合唱がにぎやかでした。
その蛙の合唱も、田植えの時期のあたりからのように記憶していたのですが、代掻きの頃にすでに蛙の声が聞こえていました。
あれ?蛙はこんなに早くから鳴いていたのかと、また記憶の不確かさを自覚したのでした。


その地域で田んぼを見ると、いつも棚田のことを思い出します。


雨と雪の境界線に書いたように、その地域はすり鉢状になって市街地を離れるとだんだんと標高が高くなっていきます。
ですから田んぼも、緩やかですが山の斜面に合わせて高さが変化していきます。


<棚田>



Wikipediaの棚田に紹介されている「世界の棚田」ほどは大規模ではく、また観光地化もされていませんでしたが、1990年代半ば、2週間程滞在した少数民族の地域に棚田がありました。


「水とモスク」で書いた研究者の方の出身地に連れて行ってもらったのです。


大規模なダムの建設予定地の上流にあるその村は、バスや車を乗り継ぎ、最後は徒歩だったと思いますが到着するまで1日はかかりました。


そしてその村で入れてもらったコーヒーのおいしかったこと。
庭で育ったコーヒーの木から、豆も収穫させてもらいました。


その川の源流に近い地域は、川に沿って急峻な山肌に家が建ち、そして見事な棚田がありました。


でも驚いたことに、山には森林がありません。
こちらの記事に書いたように、1970年代頃に輸出向けに伐採された後、植林が進んでいなかったのでした。


森林があるとないとでは、雨量に差がでることを、その国に行って知りました。
たとえ雨季があっても、熱帯雨林が伐採されてしまった地域では干ばつが起こるようになっていました。


でも、そこには棚田があり、水田には水が豊かにありました。


あの水はどこから来たのだろう。
20年以上もたってから、ふと気になりました。


Wikipediaの棚田には以下のように書かれています。

なお、稲作には灌漑が必要であるため、現在残る(急傾斜)棚田でももちろん灌漑設備が整っている。ただし、山間地にあるため河川は上流であり、日照りが続くと水量が簡単に減ってしまって水田が干上がってしまう問題があった。そのため、最寄りの河川以外からも用水路を延々と引いたり、ため池を築造したりして天水灌漑を行ったりした。それらの方法が困難な場所は、田の地下に横穴を設け、湧き水や伏流水など地下に涵養された水を利用する場合もある


日本なら、雨だけでなく標高が高い地域なら雪もあるので豊かな地下水があるのかもしれません。
私が高校生まで育った地域も、豊かでおいしい水が山のおかげでありました。


その山に森林がなくなり、雨が少なくなったあの地域で、あの棚田の水はどこから来たのだろう。


そしてあの村の周辺の山に、森林は戻って来たのでしょうか。


田んぼを見ていると、急峻な山の合間を流れる川のそばに座って水の音、風の音を聞いて過ごした日々がふと思い出されるのです。



その地域は、第二次世界大戦も終わる頃、飢餓で苦しんだ日本兵が田畑の作物を奪い取り、教会を焼き払った村でした。




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