数字のあれこれ 9 <衝撃を計算する>

世の中の変化も10年ぐらいを区切りにしてみると、いろいろとその変化の意味までみえてくるような気がして「10年ひとむかし」を書いていますが、もう少し小さな変化の波は2〜3年で起きるような印象があります。
あくまでも印象の話ですが。



最近、「この変化はどこから来たのか」と気になっていることがあります。
それは、老若男女を問わず、背中に荷物を背負って歩く人が増えたことです。
実際には、10年以上前から私の母も年をとるとともに手で荷物を持つことが大変になり、小さなリュック型のバッグになりました。
体力のない高齢者ですから、軽くて小さいものです。


ここ2〜3年で、リュック型の比較的大きなバッグを背負っている人がとても増えました。
1980年代頃もこうしたデイバッグとかバックパックといったバッグが流行りました。
それを持っているとなんとなく気分は欧米の生活スタイルになるとともに、実際に物の持ち運びには便利でした。


私も海外へ行く時には、バックパッカーが担ぐタイプのものを利用していました。



その後、90年代2000年代は影を潜め、デイパックを持って歩くのはちょっと時代遅れのような雰囲気があったように感じていたのですが、流行は繰り返すものなのだと最近の様子を見ています。


ただ、当時と違うことがあります。
80年代にデイパックを持つ時には、「背負う」のではなく片方の肩に掛けて持つのが、ちょっとおしゃれという感じでした。


今は両肩にしっかり担いでいる人がほとんどの印象です。
スマホを操作するために両手を空けたいというあたりが、この流行の背景なのだろうと見ていますが、真相はいかに。


以前のように片方の肩に掛ける方法なら、電車や人混みでもすぐに自分の前に抱えて、他の人にぶつからないようにしていた人が多かったのだと思います。
また、電車内への大きな荷物の持ち込みは今よりももっと憚られる雰囲気があったように思います。


最近は、乗車率180%以上の混雑の中でもそのまま背負っている人が多くなったので、この雰囲気の変化に驚いています。


ギュウギュウ詰めの車内で背中をバッグで押されると、上半身だけ変な方向へと傾くのでバランスをくずしてヒヤリとします。
また、少しバッグがあたっただけでも、反動で飛ばされそうな勢いになることもあります。
もう少し年をとって骨粗しょう症にでもなったら、これだけで怪我をするかもしれないと思うこともあります。


たぶん、足を踏んでいるひとには踏まれている痛みがわからない状態なのでしょう。



こういうことをマナーやルールの話にすると、人の感情が入ってくるのでややこしくなりやすいですし、中には心身の理由からバッグを背負う必要がある状況の人もいることでしょう。
あまりルールばかりになると、それは多様な状況に不寛容で息苦しい社会になりそうです。


イライラすると精神的によくないので、最近では多少のことは動じないように、「私は石である。意思のない石である。ぶつけられても、押し飛ばされても、何も感じない石である」と念じるようにしています。


ただ、どこかにこうした不具合を表現できる方法があるのではないかと考えていて、それが今日のタイトルです。


同じようにギュウギュウ詰めの車内でも、人の体が直接当たる時に比べて、荷物が体に当たる時に感じる衝撃が大きく感じるのはなぜだろうと。


当たる面積の違いもあるでしょうし、そこに荷物の重量がかかるとさらに大きなエネルギーになるのかなとか。
あ〜あ、こんな時に数学と物理が得意だったら、もしかしたらあの衝撃感を計算できたかもしれないですね。


そうしたら、「電車内ではリュックは前に抱えてください」にも合理的な説明がつけ加えられて、感情的ないざこざにならなくてすむかもしれません。





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