記憶についてのあれこれ 153 非正規雇用が広がった時代

少し前に入ったお店がとても美味しかったので、また立ち寄ってみました。

こんな時でも開店してくださっていたので、ほっとしました。ただ、前回とほとんど同じ時間帯なのに閑散としていたのは、客数だけはなく、スタッフも一人で対応していることでした。

 

期待通りの美味しい食事をいただいていると、そのお店の責任者さんらしき方が入ってきて、会話がもれ聞こえてきてしまいました。アルバイトの定員さんのシフトをどうするか、今の状況では来週のことも決められないと、切実なようでした。またアルバイトの一人に連絡をとったけれどまったくつながらないと。

 

ようやくこの状況での経済対策の話題がぼちぼちとでてきたけれど、「子育て家庭に給付金を」というニュースに、子育て支援はもちろん必要だけれど、今は優先度が違うのではないかとちょっともやもやしてしまいました。

 

外出の制限などで休業が続くと、プールのアルバイト・パートのような方々の生活はどうなるのだろうと心配です。

今回の感染症が社会に与えた影響で大事なことは、90年代ごろから広がりだした「非正規雇用」という働き方の負の面ではないかと思うのですが、なかなかそこには切り込んでいく雰囲気ではまだなさそうですね。

 

あの90年代ごろから広がった、「自由な働き方」かのように非正規雇用が広がった時代を思い返しています。

 

 

*自由な働き方という鵺(ぬえ)が広がった頃*

 

1980年代初頭に病院で勤務し始めた頃には、国公立・民間ともに総合病院では「常勤」という働き方しか選択がありませんでした。

「常勤」というのは日勤も夜勤も、あるいは休日出勤もできることが条件でしたから、結婚や出産などで離職していく人がほとんどでした。

20代前半のスタッフがほとんどでもやっていけたのは、今思い返せばまだ医療もそれほど複雑ではなかったからかもしれません。

 

ところが、こちらの記事の「安全のために必要な人数」に書いたように、看護職が一人夜勤から二人夜勤をようやく勝ち取ったものの、80年代後半ごろからの医療の高度化に伴って、さらに三人以上の夜勤者が必要になっていきました。

あるいは、夜間の救急外来が広がり、スタッフの確保が必要になりました。

 

このスタッフを全て常勤とすると人件費も増えるでしょうし、夜勤の必要人数に合わせると日勤者が多すぎてバランスが取りにくいものです。

民間病院では80年代後半には、「日勤パート」「夜勤専門パート」の募集が始まっていた記憶があります。

 

この時代のおかげで、私も夜勤パートだけで生活費を稼ぎながら、1〜2年おきに東南アジアへ行くという自由なことをしていました。

80年代には考えられない働き方でしたから、とても助かりました。

時間数が常勤者の3分の2以上あれば、「常勤パート」という扱いで健康保険や厚生年金といった社会保険にも加入できました。

 

たしかに人件費を減らしたい経営者側と、自由な働き方を探している側とWin-Winな関係に見える変化でした。

 

*風向きが変わったのが2000年代に入ったころ*

 

なんとなく世の中の仕事に対する感覚が変化したと感じ始めたのが、2000年代に入った頃でした。

 

私が勤務していた総合病院では90年代に病棟クラーク(事務)が導入されて、その仕事だけは派遣業者からの斡旋でしたが、それ以外の看護職のパートは直接、病院が募集し、面接をして決める方法でした。

 

ある時期から、看護スタッフも斡旋業者を通して募集が来るようになりました。

人事担当者の負担が少なくなるかと思ったら、せっかく業務に慣れてきた頃に突然辞めてしまったり、連絡も取れないといったこともでてくるようになりました。

一回だけ出勤して、その後連絡もとれないということもありました。

他の施設でも同じようなことはあるのでしょうか。

 

医療分野の労働者派遣が解禁になったのが、2003年でした。

看護の非正規雇用の派遣に関してはメリットもあるのでしょうが、自由を求めるあまり責任が伴っていない人材を生み出してしまったのではないか、そして雇用者側にも派遣業を通すと経済的負担がのしかかるという印象が強くなりました。

 

*非正規雇用でしか就職できない時代へ*

 

しだいに「自由な働き方」どころか、常勤にもなれず、社会保険も整備されていない非正規雇用という働き方しか選択がないという若い世代のニュースを耳にするようになりました。

 

定年制や年棒序列制は日本の古い働き方だという雰囲気が広がり、新しいことを求めた結果、災害やこうした感染症の広がりという状況で、生活することさえ守れない人たちをどれだけ生み出してしまったのでしょうか。

 

もしかしたら、1950〜60年代から築いてきた社会保険制度を、「自由な働き方」という漠然としたイメージだけで手放してしまったのではないか。

人が安心して働き続けるという制度がつくられ始めた、驚異的に変化する時代だったことに、当時は気づけなかったのかもしれません。

 

閑散とする街の中を歩いていると、90年代ごろからの仕事に対する社会の変化はどうして起きたのか、あの雰囲気を思い返す必要があるように思えてきました。

 

 

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