先日、駅のコンコースを歩いていたら、私の足の上をキャリーバッグが通過して行きました。
痛かったのですが、その人は「何か障害物に当たったかな」ぐらいの表情で通り過ぎていきました。
いえ、クールな人混みでこれだけの人が移動しているのでお互い様で仕方ないですし、そう頻度の多いことでも無いですからね。
電車の中で肘鉄を食らうことが増えたと書いたのが、2016年。
最近さらに頻度が増して、両側に座る人から何度も肘で小突かれるようになりました。
そして乗り降りで人が代わると、また小突かれています。
「一度も肘鉄を食らわずに電車で座れた」ことのほうが、珍しくなってしまいました。
女性の方が比較的体格が小さいので、女性から肘鉄を食らうことはほとんどなかったのですが、最近では老若男女関係なく、肘で小突かれます。
スマホの操作が一番多い印象ですが、本を読む人も、あるいは座るなりずっとガサゴソと荷物を整理する人の肘も容赦無く脇腹にあたります。
私の方は腕を荷物の上に真直ぐおいて自分の体の幅よりから腕が出ないようにしているので、それが脇腹を無防備にさせてしまうのですが、かといって腕をそのまま下ろすと隣の人の体に密着するのでそれも嫌だし、悩むところです。
肘がぶつかって、「すみません」と気づいてくれる方もごくごくわずかです。
注意するほどのことでも無いので、無いスペースの中で少しずれて、相手の肘が当たらないようにするしか無いのですが、そっと防御しても気づかないのか気づいても気にしないのか、私の脇腹をサンドバッグのように何度も小突く人もいます。
座席のスペースが狭いので仕方がないと思いつつ、耳栓のような対応もないし、こう頻度が増えると、「自分は石である」と念じても効果がなくなって来ますね。
「ここに私がいるんだからね」と心の中で叫んでいます。
肘を何かにぶつけると涙が出るほど痛いので、けっこう体の中でも敏感な部分だと思うのですが、他の人に当たっても感じないとすれば不思議ですね。
かといえば、他人と距離をおきたいかのように、アトランダムにホームに立って電車を待つ人が増えたのも不思議です。
人の体を小突いて平気とは正反対のような行動なのですが、続く人がどこに並んだら良いか困っているのも気にしない、後ろの方に並ぶスペースがなくなっても気にしていないという意味では、他の人の存在を感じていないかのように見えます。
あるいは、どちらかが少しずれないと反対側から来た人と行き違えない狭い歩道で、反対側から来る人はこちらを見てます。
私に気づいているようだから、こちらが少しよければ相手も少し反対側にずれて通れるだろうと判断しても、相手はそのまま1ミリもずれずに歩いて来るので正面衝突しそうになり、慌ててこちらが車道へ降りるという場面も増えました。
私の方を見ながらまっすぐ歩いて来るので、ホント怖いです。不気味という意味で。
他人の存在を感じていないかのように振る舞う、そんな場面が増えてきたような気がするこの頃です。
ええ、「昔は」という話は避けたいのですが、やはり現実にはこうした変化がありますよね。
クールな人混みと思っていた状況も、10年ぐらいで微妙に変化しているようです。
何がその変化の理由なのでしょうか。
「存在する」まとめはこちら。