10年ひとむかし 35 <驚異的に変化する時代がある>

最近、散歩の途中で郷土資料館歴史資料館にふらりと立ち寄ることが増えました。


どの施設でも、圧巻なのが年表です。
中学や高校時代に学んだ記憶がかすかに残っているような歴史の知識は、歴史の中のほんの断片でしかなかったことを改めて思うほど、たくさんの事実がそこに存在しています。
教科書で羅列的に学んだ知識の行間には、地域による違い、状況による捉え方の違いなどがいくらでも埋まっています。
どの施設でも、見学が終わるころには圧倒されています。


日本の年表でいえば、古代の縄文時代とか弥生時代から始まって、江戸時代ぐらいまではゆったりとした時間の流れに感じるのですが、明治時代の初期の年表までくるとその変化の速度に想像が追いついていかない気持ちになります。


たとえば、今当たり前のように使用している電気ですが、電気事業連合会「明治時代 電気の歴史年表」を見ると、明治になってわずか3年後には「ガス灯が点灯」され、10年後に「虎ノ門の工業大学校で、初めての電灯『アーク灯』が点灯」し、1882年(明治15年)には「東京・銀座にアーク灯が灯され、市民が初めて電灯をみる」とあります。


わずか10数年前の江戸時代に、「電気」という言葉をどれだけの人が知っていたのだろうと思うと、社会のどこにこういう驚異的な変化が起きるための準備があったのか、不思議ですね。


この明治時代の歴史を習う中学・高校時代もやはりすごい変化だと感じていたのだと思うのですが、最近は、より実感を伴うようになりました。
というのも、1980年代から90年代にかけてのインターネットが生活に入りはじめた時代の記憶が、「明治時代の文明開化もこんな感じで広がったのだろうか」と印象深くあるからかもしれません。


いえ、でも1980年代にはすでにさまざまな電気製品に囲まれていたので、「便利な製品」の線上で日常生活の中にそれほど抵抗はなく溶け込んだのではないかと思います。
まあ、いまだにインターネットもパソコンの仕組みもよくわからないのですけれど。


でも江戸時代末期、まだ着物を着て、あかりと言えば燭台ぐらいしかなかったのに、どうやって「電気」を受け入れていったのでしょうか。
そしてわずか20年後の1887年には、「家庭配電を開始」とあります。


すごい変化だったのだと、年表の前で立ちすくんでしまう時代です。



そしてそれぞれの地域の年表には、その当時、工場ができたり鉄道が開通したりと、地域ごとの劇的な変化が書かれていています。
「ああ、だからあの場所にあれがあるのか」と現代と行きつ戻りつしつつ、当時の状況を知りたい、時代の変化への葛藤はどんなものだったのだろうと興味がつきません。
あ、ちょうど葛藤という概念ができた頃ですね。




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