つじつまのあれこれ 3 <「正常なお産」の幻想>

前回紹介したAllAboutの記事は、「産科医が去ったセンター病院」(2007年2月最終更新)の記事に続いています。


「忙しすぎる」と産科医三名が相次いで退職


少し前まで、舞鶴には市内はもとより周辺の市からもハイリスク出産を引き受けていた病院がありました。独立行政法人国立病院機構舞鶴医療センターの母子医療センターです。このセンターは1982年にでき、2002年には京都府からも周産期医療サブセンター(地域周産期母子センター)の認定を受けて以来、ハイリスク出産を一手に引き受けてきました。2002年〜03年の2年間を見た統計によると、分娩全体の28.9%がハイリスク妊娠で、早産だけでも全体の24%を占めていました。帝王切開は38.8%で、夜間の緊急手術も受けていました。

しかし、2006年、3名いた産婦人科医全員が、相次いで退職してしまいました。ここに医師を派遣していた大学病院から、新しい医師を送ってもらえるめどは立っていません。今、ここに妊婦さんの人影はありません。分娩室も使われていません。


2006年当時、舞鶴医療センターの件は「これから日本の周産期医療はどうなっちゃうんだろう」とおおいに心を痛めたニュースのひとつでした。


地方へ里帰り分娩をされる方の妊婦健診の時には必ず、「受け入れ先はすぐに見つかりましたか?」と聞いてみるのですが、一時期のように「里帰り分娩ができない」という危機的な状況ではなくなったようです。
反対に、「え?そんなに大変だったのですか?」と、10年前にお産難民の時期があったことを全く知らない産婦さんが多くて、こちらが驚くことがしばしばあります。



<「産科医を増やす」ではない「助産師の活用」に>


さて、この記事を読むだけで当時の緊迫感が伝わって来て、地域の周産期センターが閉鎖というニュースは悲惨を越えて恐怖心にちかい気持ちになります。


この問題を解決するには、産科医が分娩施設を辞めないようにするための対策しかありません。


ところが、この記事の続きには「産科医不足で増えて来た助産師外来」「院内助産院にしてお産もとっていけたら」とあります。


当時も今も、「産科医がいない、産科医が大変」なら「助産師の活用を」という声になってしまうから、辻褄があわないことになるのだと思います。


<「正常産」への幻想が辻褄の合わない原因>


さて、この記事の筆者については「これはないと思う 『助産雑誌 9月号』その4でこんなことを書きました。

「正常に至らない人に、助産師しかできることはない」なんて言う助産師は、B(全体)の中のAしかできませんということなのです。


ところがここ10年ほど、開業や院内助産を勧め、Aしかできない助産師を「自律している」と称えてきました。
それを後押ししたのが助産雑誌や出産ジャーナリストのような人たちではなかったでしょうか?

「ハイリスク出産も含めたすべての妊娠・出産」へと助産師の方向性が変化していた80年代90年代に、正常なお産があるかのような思い込み助産師全体が方向性を見誤ってしまったのではないかと思います。


だから、周産期医療についてこういうモードに影響された助産師が対策を考えると辻褄が合わなくない方向になるのかもしれません。





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