つじつまのあれこれ 2 <「悲惨な話だけが事実ではない」?>

AllAboutの「分娩件数が増えてもいいお産を」(2007年3月最終更新)という記事を読んで、「辻褄が合わないなあ」と思いました。


先日紹介した、この夏に開かれる基調講演で「母乳権」という言葉が使われているシンポジウムについて検索していたときに、その記事を見つけました。



その記事では舞鶴共済病院について書かれていますが、舞鶴共済病院と言えば、2004年以降の周産期医療の動向に関心があった方なら記憶にあると思います。
冒頭にそのことが書かれています。

医療センター産科閉鎖で分娩件数が2倍に増加


舞鶴共済病院の中村悦子師長さんにお聞きしたところ、国立舞鶴医療センターの産科が閉鎖した2006年6月以降やはり分娩件数が跳ね上がっており、閉鎖当初の2ヶ月は一気に2倍増。その後少し落ち着いたものの1.5倍くらいの状態が続いています。


当時、どこかひとつの分娩施設が閉鎖すると、年間300件から数百件の分娩が残った他の施設へと分散されていきました。
たとえば月40件ぐらいの分娩を扱っている施設にさらに10〜20件増えると、どんな状況になるか。これを言葉で表現するのはとても難しいのですが、私たち産科スタッフにしたら「1ヶ月ならなんとか耐えられる。でも2〜3ヶ月以上同じ状態だったら、人員が補充されない限りはみんな過労でつぶれるだろうな」というレベルです。主観的ですが。
そして、ベッドをやりくりするために早期退院させざるを得なくなります。


国立舞鶴医療センターのニュースで舞鶴共済病院の名前があがっていたことでこの地域が印象に残ったのですが、しばらくしてその国立舞鶴医療センターに「産科医不在のまま院内助産所が作られた」というニュースに驚き、「舞鶴」という地名が記憶に残っていました。



<「悲惨な話だけが真実ではない」>



さて冒頭でリンクした記事の3ページ目に「悲惨な話だけが真実ではない」と、以下のように書かれていました。

舞鶴共済病院では医師も助産師も夜勤の業務量は増え、負担は増していました。でも、病院が一丸となって母乳やカンガルーケアに取り組むことで、ここ共済病院はエネルギーを得ているように見えました

医師不足の報道がテレビでも新聞でも盛んに続いて「産科はこんなに悲惨だ、あんなに悲惨だ」と言われ続けています。でも現場に行ってみれば、悲惨なことだけが真実のすべてではありません。医療センターでは助産師が出産後も働き続けられるようになって、より責任の思い仕事も引き受けようとしていたし、共済病院もかかげてきたテーマに情熱を持ち続けていました

大変な中でもお産の楽しさ、仕事のやりがいを見つけている人たちは現場に残ってくれるのではないでしょうか。そして、この人たちの意欲が産む人や社会に伝わったとき、産科崩壊と呼ばれる状況が変わり始めるのだと私は予感しました。


この記事から9年ほど過ぎましたが、相変わらず分娩施設は増えないので残った施設にお産が集中しているし、産科医も産科スタッフも増えないので青色吐息でその日をなんとか過ごしている施設が多いのではないでしょうか。



入院数が増えてもスタッフ数が増えなければ、どこかで業務量を調整しなければならなくなります。
出産直後から「泣いたら吸わせる」「お母さんと離さない」母子同室や、「退院まで沐浴はしない」ドライテクニックは、本当にそれをした場合としなかった場合の違いが検証もされずに、体のいい業務量削減になっているのではないかと思います。


その状況に反比例するかのように、理想のお産や育児を描いた方々との考え方や価値観をすり合わせることに時間が必要なことも多くなりました。


さらに「院内助産」や「自律した助産師」、あるいは完全母乳といった言葉で、目の間にある現実の課題をじっくり考えることよりも、なんとなく広がってくる社会のモードをどうとらえるかにエネルギーを費やされています。


まあ見ているものが違うので、事実なんて人の数ほどあるのかもしれませんが。



さて、この記事の「辻褄の合わなさ」は次回に続きます。




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