境界線のあれこれ 70 <生殖と性欲と性犯罪>

産婦人科に勤務していると、生殖と性欲と性犯罪の境界線を毎日意識している仕事だと改めて思うこのごろです。


大半が生殖に関係することなのですが、望んでいない妊娠の相談や、ごくごくたまに性犯罪についての診療もあります。
婦人警官に連れられて、被害者の女性が来院されます。
ほんとうにこういう場合はかける言葉がないものです。


今から30数年前、看護学生として寮生活が始まった時に教官から注意されたひと言を今でも覚えています。
「男は狼だから、十分に気をつけなさい」
男性の皆様、お気を悪くされたらごめんなさい。


それからというもの、確かに、寮や病院周辺に出没する痴漢や露出狂の話をたびたび聞くことになったし、私も実際に被害に遭いました。


「ああ、男ってどうしようもないのだな」というのが、当時の気持ちでした。


<さまざまな性の関係と性犯罪>


20代初め、しかも1980年代初頭はまだ性に関することはタブー視されていましたし、女性は「純潔」を求められていた時代で、現代と比べると良いか悪いかは別として、いろいろな意味で閉鎖的であり、闇に包まれていたのが「性」に関する話題でした。


当時の私は「性犯罪の被害者」というのは女性だけだと思っていたのですが、東南アジアで暮らすようになって、そこには男性から男性への性犯罪があることを初めて知ったのでした。
その国では、当時日本ではまだほとんど表に出ていなかった「ニューハーフ」の男性があちこちにいて、市場でカットしてもらっていた美容師さんたちも、皆、そうでした。


欧米から旅行にきた白人男性と連れ添って歩いている姿はどこでも見かけましたし、まだあどけない少年もいました。
カトリック教会内の、神父による少年に対する性犯罪も初めて耳にしました。


そのうち正義感から、女性が売春をしなくても済む社会が大事だと貧困問題にも関心を持ちました。
特に、日本へ海外で稼ぎに来て、そのまま妊娠したり男性に捨てられたりした女性と関わるようになって、最初は「女性が被害者」と思っていたのに、安定した生活を求めるために女性のほうから選択しているという事実の前に、私自身の正義感を収めなければ対応できないことがありました。


そして、売春に対しても「自分が選んで売春をしている」という女性の声が挙がり始めて、性に関して正しさは幾つもの側面があることを知りました。


また、「女性にも狼がいる」ことも知りました。


本当に答えは見つかりません。


<「ロトの娘たち」>


性とか性犯罪に関して考える時に、いつも思い出すのが旧約聖書創世記19章に書かれている「ロトの娘たち」の話です。

 ロトはツオアルを出て。二人の娘と山の中に住んだ。ツオアルに住むのを恐れたからである。彼は洞穴に二人の娘と住んだ。姉は妹に言った。
 「父も老いてきました。この辺りには、世のしきたりに従って、わたしたちのところへ来てくれる男の人はいません。さあ、父にぶどう酒を飲ませ、床を共にし、父から子種を受けましょう。」
 娘たちはその夜、父親にぶどう酒を飲ませ、姉がまず、父親のところへ入って寝た。父親は、娘が寝に来たのも立ち去ったのも気がつかなかった。
 明くる日、姉は妹に言った。
「私は夕べ父と寝ました。あなたが行って、父と床を共にし、父から子種をいただきましょう。」
 娘たちはその夜もまた、父親にぶどう酒を飲ませ、妹が父親のところへ行って寝た。父親は、娘が寝に来たのも立ち去ったのも気がつかなかった。
 このようにして、ロトの二人の娘は父親の子を身ごもり、やがて姉は男の子を産み、モアブ(父親より)と名付けた。彼は今日のモアブ人の先祖である。
 妹もまた男の子を産み、ベン・アミ(わたしの肉親の子)と名付けた。彼は今日のアンモン人の先祖である。(新共同訳)


ロトは命がけで二人の神の御使いを守ったことで、陥落する街から家族とともに逃れることができた人でした。ところが、「後ろを振り向いてはいけない」と言われたにもかかわらず、ロトの妻は故郷の街をもう一度見たくて振り返ってしまい、妻は塩の柱になったという話は旧約聖書でもよく知られた箇所です。


その実直なロトが、娘による近親相姦として名を残すことになるとは、旧約聖書とはなんと残酷な話を載せるのだろうという驚きと、この部分は近親相姦を戒めている倫理観の表現なのだろうと思ったのが、旧約聖書に出会って初めて読んだ20代の時の感想でした。



あれから30年ほどたって、私の読み方は変化して来ています。
聖書は「これが正しい、これが誤っている」ことを示そうとしている(倫理観)のではなく、「これが人間のありのままである」ことを示している(リアリズム)のではないかと。


聖書が書かれたと言われる紀元前4世紀以降、相変わらず人間は、生殖と性欲と性犯罪の間で答えを見つけられずにいる、とでも言うのでしょうか。


あと10年、20年とたった時、私のこの「ロトの娘たち」の解釈はどう変化していくのでしょうか。




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