事実とは何か 12 <「その結果を引き受けてきた。それらがいかに不合理であったとしても」>

無介助分娩やプライベート出産のように、自らが選択したわけではないけれど、結果的に自力で出産することになってしまうことが、この現代の日本でもあります。


正確な統計はないので、あくまでも私個人の感覚ですが、数年に一人ぐらい病院に間に合わなくて自宅や車中で児を娩出してしまうことに当たります。
もう少し高い頻度で、病院についたら分娩室へ即行、20分とか30分で生まれたということがしばしばあります。


分娩進行が早い経産婦さんだけでなく、「何でこの初産婦さんがこんなに早くお産が進んだのだろう」と驚かされることもあります。



「目が覚めたら、急に5分間隔の痛みが来て、お尻のほうにも響いています」という電話の声がどんどん切迫して来て、「わーっ」という叫びに変わったこともありました。
「もうその声だとすぐに生まれるから、落ち着いて言う通りにしてね。こちらには間に合わないと思うから、赤ちゃんの頭が出て来たら押しとどめないでそのまま出して、バスタオルでくるんでね。泣かないようなら背中をこすって刺激して、へその緒をひっぱらないようにして赤ちゃんを保温してね。旦那さんに救急車を呼んでもらって、そのままクリニックへ来てくださいね」と。


救急隊が到着するまでの、こちらも生きたここちのしないこと。
赤ちゃんも無事で何よりでした。
お母さんもお父さんも、本当に怖かったことと思います。



まだまだ経験が浅く、そして1990年代初頭でも全例に分娩監視装置をつけないで分娩介助していた頃は、「案外、こういうお産はスムーズに何も問題なく生まれるものだ」と感心していました。


ところが、やはり「早いお産は怖い」と大先輩の助産婦さんたちが口にしていたことが、次第にわかるようになりました。


自宅から病院へ向かう車中で産まれてしまったある方は、到着した時には赤ちゃんが異常なほどの出血の中にいました。
なんとか啼いて、その後も特に問題なく退院されたのですが、その後脳性まひであることがわかりました。
おそらく、常位胎盤早期剥離による出血だったのでしょう。
車中で生まれてしまったので分娩時の分娩監視装置のデーターももちろんないし、まだ臍帯血ガスを測定する事も一般的でなかったので、この出産で何が起きたのかはわからないままです。



ただ早くスムーズに進行したと思い込んではいけない、危険な状況があることを知ったのでした。


「自力出産」とか「産婦が自律」なんてうわべだけの言葉は吹き飛ぶのが、出産なのだとつくづく思います。



<1972年の無介助分娩に関する実態調査より>



無介助分娩を検索していたら、「茨城県下に於ける無介助分娩に関する実態調査」(「北関東医学」 22(5):309-314、1972 )という論文が公開されていました。
(直接リンクできないので上記名で検索してみてください)



1972(昭和47)年といえば私が中学生の頃ですが、現代と比べれば医療もまだ未整備だったとはいえ、当時は普通に医療の恩恵を受けていた頃です。しかも先進国の医療として。
その時代に、まだ無介助分娩が行われている地域があったことに驚きます。


「はじめに」では、「医師あるいは助産婦の立ち会わない、その他分娩は出生率昭和35年2.0%であったが、年々減少し昭和42年には0.3%となっている。茨城県に於いても、昭和38年0.4%弱であったものが、昭和43年には0.08%(分娩数30)となっている」と書かれています。


そのうちの21例に関して調査した報告のようです。
その21例は山間部地域で交通の便も悪い地域と重なっています。


「無介助分娩となった理由」は、「交通が不便 7」「経済的理由 4」「今までの風習 3」「(介助者を)助産婦と思っていた 4」などがあげられています。


「要旨」には以下のように書かれています。

母子の予後は、出産経過良好20例で、不良は1例のみであった。また児の予後は発育良好のもの19例、新生児死亡2例で、発育不良0となっている。

「出産経過良好20例」はおそらく母体のことだと思われます。それだけを見ると「無介助分娩でもリスクは少なそう」に見えてしまいますが、「新生児死亡2例」については「2)周生期及び予後について」で以下のように書かれています。


児についてみると、2例の新生児死亡(9.5%)が認められる。1例は生後約3週間で死亡し、医師の診断によると臍帯からの感染による死亡であり、祖母が介助したものである。調査によれば分娩時、母児に対して得に消毒はしていないとの申告であった。

他の一例は、妊娠8ヶ月の早産で、"赤ん坊はすぐ元気に泣いた"というが、夫と姑は褥婦の眠っている間に埋めてしまったとのことである(近所の人の知らせで後になって判明した)。この例の場合、妊娠中一度も医師、助産婦に受診もしていない。又、第1子は死産で、第2子は児の発育異常があり、2才1ヶ月になるもまだ歩行不能(この児については今後、精査の予定である)、と云うような異常経歴を持っていた上で、出産したのが"未熟児"(統計分類上の意とは異なる)であったため、児の発育を心配して埋めてしまったとのことである。


「出産は日常生活のなかの一コマで、家庭的な、あるいは共同体のなかでの出来事だった」とか、「産むことに特段の不安はなかった」とか、「身体性」とか、どこからそのような理解がうまれるのでしょうか。


ましてや、「その結果を引き受けて来た。それらがいかに不合理であったとしても、医療に依存することは少なかったはずである」というのは、歴史の事実を曲げた解釈としか言いようがないのではないでしょうか。




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