10年ひとむかし 15 <電車の中のいろいろな変化>

電車の風景も10年単位で考えると、いろいろと変化しているなあと感じます。


最近、大きなリュック型のバックを背負ったまま乗る人が増えた印象があることは書きましたが、ここ数年の変化で感じていることがもう一つあります。


それは、電車内で立つ人が、それぞれ好きな方向に向いていることと、何かに寄りかかる人がすごく増えたことです。


とくにドア付近に立つ人のほとんどが、ドアや座席の手すりに寄りかかって立つので、その近くに立つとどちらを向いたらよいか戸惑うことが多い状況が増えました。



以前だったら、ほとんどの人が外の風景を見るようにドア向きに立っていたので、ギュウギュウ詰めでも人の後ろ姿を見るだけで済んでいました。
ところが最近は、ドア付近の座席の手すりが特等席なのでしょうね。
まずそこを目がける人が多いようです。
左右の座席の手すりに寄りかかって向かい合うように、その場所が埋まります。
その場所を確保できなかった人は、「ああ残念」といった雰囲気でドアを背もたれにして立ちます。


その近くにしか乗れなかった場合、1人と真正面で向き合う形になりさらに2人の横顔を間近でみることになり、外の風景を見たくても目のやり場に困る感じです。


そして皆、背もたれ代わりにして立ってスマホを見ているので、ドア付近の3人の間に隙間があるのに、激混みでも詰めることができない微妙な空間ができています。


あの3人がドアの外を見る形で立ってくれたら、そしてスマホをちょっとの間しまってくれたら、あと1人ぐらい窮屈な想いをしないで立つことができるのですけれど。
あまりそのことを気にすると精神的によくないので、その空間の面積をどうやったら計算できるのかという問題に置き換えて気を紛らわしています。


まあ、まだつり革なしでも何とかあの満員電車の中で立っていられるのですが、あと数年もしたら、あの手すりがなんと大事な物だったかもっと実感することになることでしょう。


今でも揺れる区間は、あの手すりにつかまりたいと思います。
ところが、その手すりを背もたれ代わりにしている人は、周りに「そこをつかまりたい」と思っている人がいることに気づかないかのようです。


そばに杖を持った人がいても、立っているだけでも大変そうな高齢の人がいても、目に入らないようです。


あのドアの手すり周辺は、優先区域として床の色を変えるなんてどうでしょうか。



こんな情景ひとつとっても、東京グッドマナーなんて自画自賛しているのは恥ずかしいなと思いますね。
新しいものや文化が増えると、また周囲を見渡してどのように行動したらよいのか、新たな変化が必要になってきます。
それが現実のマナーになっていくことでしょう。




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