散歩をする 154 気仙沼から一ノ関、そして北上へ

バス( BRT)での気仙沼線の旅が終わりました。

バス専用路線の向こうに、線路があり列車が停まっています。

バスの旅も快適でしたが、列車と線路を見たらなんだかホッとしました。

 

気仙沼駅は小高い場所にあって、背後に小さな山がありました。

駅舎と山の緑、そして青い空がなんとも素敵な風景です。

国内外からの観光客もぼちぼちといるようで、坂道を降りて海の方へ向かう人たちの姿もありました。

駅前の国道沿いにある街並みは、あの震災では大きな破損はなかったのかもしれません。

 

漁港付近まで歩いて見たかったのですが、まだ昼食をとっていなかったのでお腹が空いていました。

列車まで1時間、あまり時間がないので駅の目の前にあるホテルのレストランに入りました。

よくあるランチメニューのカレーを頼みました。「列車の時間は大丈夫ですか?」と尋ねられて、1時間ぐらいはあると伝えましたが、正直なところすぐに出てくるごく普通のカレーだと思っていました。

 

ところが上に載っているカツも揚げたてで、お店の方の質問の意味がわかりました。

カレーもさまざまなスパイスがよく効いた手作りのもので、期待以上の美味しさでした。

 

働いていらっしゃる30代から40代ぐらいのスタッフの方々は、あの日以来どんな日々をおくってこられたのだろうと思うのですが、やはり言葉が出てこなくて、とても美味しかったことを伝えてお店を出て駅に向かいました。

 

大船渡線

 

気仙沼駅からは大船渡線一ノ関駅まで行く計画です。

この大船渡線も、気仙沼から大船渡方面は気仙沼線と同じく、沿岸部の被害が大きくBRT(バス・ラピッド・トランジット)になっているようです。

 

東日本大震災の発生直後に、その尋常でない規模を知ったのは大船渡の大津波の映像で、また初めて大船渡という地名を知ったのでした。

岩手県がネット上で公開している「岩手県 2011.03.11 東日本大震災津波の記録」によれば、「地震発生から30〜50分後に東日本の太平洋沿岸に観測史上最大級の巨大な津波が押し寄せた」とあります。

 

東日本大震災と原発事故発生時の記憶に書いたように、その日は夜勤明けで寝ようと思ったところで地震が発生しました。

長く続く大きな揺れに、ガスは大丈夫だろうかなど心配しても本棚から手を離すことができず、しばらくテレビもつけられなかったのでした。

近所からはどこからも声が聞こえず、不気味なほど静まり返っていました。

 

ようやくテレビをつけた時には、NHKが大船渡付近の映像を映していました。

あの間、30分もあったのかと、今改めて時系列で記憶をたどって見て混乱しています。

 

私が今乗り込む列車の反対側に、あの映像の大船渡に向かう線路があったのですね。

 

*一ノ関まで*

 

午後2時ごろの大船渡線一ノ関行きの列車でしたが、地元の方々と思われる人たちで満席になりました。

風景を見たかったので2両編成の一番後ろに移動しました。

パンタグラフと電線のないデイーゼル車なので風景を遮るものがなく、後ろへと去っていく風景がまるで切り取られた絵画のように見える特等席です。

気仙沼から一ノ関までは1時間ほどなので、立ってその風景を見ることにしました。

 

小さな川に沿って水田があり、山やお寺や家並みが次々とあらわれます。

まるで夢の中にいるような景色でした。

そしてヤマユリが群生している場所があちこちにあり、ここでもユリの香りが車内に立ち込めてきました。

 

途中から北上川の支流である砂鉄川沿いに列車は走り、北上川を渡って一ノ関に到着しました。

 

*一ノ関から北上へ*

 

一ノ関駅からは再び東北本線で北上まで向かいます。

右手に北上川が近づいたり離れたりしながら列車は進むのですが、一ノ関駅を出るとじきにまっすぐで大きな用水路と併走します。

その向こうに堤防があるので、堤防の向こうが北上川なのかと期待していると、堤防の向こうにも水田が広がっていて、川の姿はありません。

もしかしたら、北上川の氾濫に備えた堤防なのかもしれません。

 

左手の小高いところに有名な中尊寺がある平泉を過ぎ、 しばらく行くと左手に水田地帯が広がります。

これがあの胆沢川扇状地のようです。

そばに北上川もあるのに「鉱毒のために農業に使えなかった」という歴史は何を指しているのだろう、そして寿庵堰も見て見たい。

いつか、絶対に訪ねてみよう。

 

そんなことを思っているうちに、右手にぐんと北上川の堤防が近づいて、北上駅に到着しました。

 

 

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