記憶についてのあれこれ 41 <父はどのように脳梗塞を受容しているのだろう>

年末に近い時期に、父が二度目の脳梗塞を起こして半身麻痺になりました。


最初の脳梗塞は2年前で、その時には右手の握力が低下しました。
父の様子を見ていると思うように動かない右手が気になるようで、いつもさすったり、拘縮し始めた関節を自分で伸ばしたりしていました。
その自主的なトレーニングが良かったのか1年ぐらいかけて徐々に握力を取り戻し、また右手でお箸を持ったり筆で字を書くまでになりました。


2度目の脳梗塞は、その父の努力を打ち砕くかのように今度は右足が完全に麻痺し、右手も少し腕を動かせるぐらいになってしまいました。


病院に駆けつけると、父は笑顔を見せながらも「情けないな。体が動かない。なんで脳梗塞になったんだろう」と、私に言いました。


脳梗塞になった」ということを認識して、それが記憶としてあることに私は驚きました。
というのも最初の脳梗塞の発作の後には、一度たりとも父から「脳梗塞」という言葉を聞いた事がなかったので、父は脳梗塞という言葉や概念をもう忘れているのだろうと思っていたのです。


もし今回、入院してから周囲の人の会話で「脳梗塞」という言葉を聞いたとしても、認知症ですから聞いたそばから忘れていくのではないかと思います。
あるいは、この手足が動かない状況が脳梗塞であることを認識できないのではないかと。


それまでは「おじいちゃんやおばあちゃんは何が原因で亡くなったの?」と私が質問しても、父の両親の最期のことはもう記憶になくなっていたようでした。
ところが、驚いた事に今回は「父親も母親も脳梗塞になんてならなかったのに、何で私は脳梗塞になったのか」と私に逆に尋ねてきました。


とっさに私は答えました。
「お父さんは今まで健康に注意して過ごしてきたから、おじいちゃんやおばあちゃんよりも長生きできたでしょう?長生きをするとそれだけ脳梗塞にもなりやすいものね」と。
こんな口からでまかせのような慰めを言ってもしかたがないのに、と自分でちょっと情けなくなりました。


ところが、軍隊時代から健康に気をつけてきたことに自負のある父には、この答えが良かったようです。
うれしそうに笑って「そうか。そうだな。長生きをできたということか」と満足そうでした。


この会話以降、再び、父の口から「脳梗塞」という単語が出てくる事はなくなりました。


面会にいくたびに、「悪いけれど、こっちの足を少しずらしてくれ」「思うように動かないんだ」と言いつつ、また動く方の手足を使いながら少しずつ自主トレーニングをしているようです。


父の記憶のどこに、なぜ脳梗塞という言葉が残り、あの時に自分に起こった状況とつながったのだろう。
今の状況をどのように感じて、何を思っているのだろう。
認知症の人にとって、疾患の受容の過程とはどういうことなのだろう。


そしてその受容した過程をどのように新たな記憶として残しているのだろう。
そんなことを考えながら、父のそばで様子を見ています。






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