ケアとは何か 18 <終の住処に必要なことは何か>

父がお世話になっている介護病棟は、いつ行っても清潔なリネンに交換されています。


髭もきれいに剃ってもらい、パリッとしたシーツの上で穏やかな顔をして眠っている父をみると、それだけで父にはよい終の住処に出会ったのではないかと思えて来ます。


その施設の室内やホールは大きなガラス窓があって、晴れた日には太陽が差し込んで冬でも汗ばむぐらいの暖かさになります。
年をとるに従って寒がりになった父は、その日だまりにいると「ああ、暖かくていいな」と本当に嬉しそうです。


もし自宅であのまま暮らしていたら、冬場は室内でも廊下や浴室は氷点下近くになる寒冷地ですし、夏は夏で室内での熱中症になったぐらいですから、気温や気候の変化にも対応する気力も無くなっていたことでしょう。


週に2回、入浴日があります。
午前中に面会に行くことが多いので、ちょうどその入浴時間にあたるのですが、数十人の入所者を次々にお風呂に入れるのは本当に重労働だと思います。
父のように車いすで、あるいは寝たきりの方もストレッチャーで入浴をさせてくれます。
スタッフの方々のなかには職業病の腰痛があるのでしょう、骨盤ベルトをしながら入浴介助をされています。


次々とお風呂場からさっぱりした顔ででてくる方々に、他のスタッフがドライヤーをかけ、靴下をはかせ、そして爪切りや髭剃りをしています。
靴も時々洗って、清潔なものにしてくれます。


もし、自宅で高齢者だけで暮らしていたら生活の管理能力が落ちて、入浴も洗濯も少なくなっていったことでしょう。



看護スタッフ・介護スタッフの他に、入所者のお話相手になるスタッフがいます。
入院したばかりでまだ不安定な方なのでしょう、そんな方をホールに連れ出して一緒にお茶を飲みながら穏やかに話をしていることもありました。
家族の足が遠のいているような方にとっては、「○○さん」と呼んで話しかけてくれることは、自分自身の存在を思い出させてくれることでしょう。


ここ1年程は、父の皮膚の抵抗力も落ちてきたのか、いろいろな皮膚トラブルが起きるのですが、毎日、丁寧に軟膏処置をしてもらっています。
他の病院に診察を受けにいくこともたまにありますが、ほとんどの不調や変調はこの院内の先生と看護スタッフで対応してもらえます。
私たち家族も、もう父に高度な専門医療を望んではいないので、できるだけ環境を変えずにこれから何度もくる変化をこの病棟内で対応してもらえることに安心しています。


いえ、言い換えれば、今の介護と医療が両方とも受けられている状況が、父の状況に対しては高度な専門医療だと思っています。


2年程、父が暮らす施設を見て、終の住処というのは新生児と同じ環境のように思えて来ました。


室内の温度や湿度が快適な状況で維持されている。
沐浴で清潔にしてもらい、清潔な衣服やリネンで清潔にしてもらう。
温かい食事や水分をとり、排泄に対応してもらえる。
まさに、基本的欲求に対する援助が行き渡った状況です。


新生児も刻々と変化するので正常なのか異常なのかの判断が必要になる存在なので、観察され早期に医療的な対応をしてもらうことができる。



そして一人一人が「生きている」そのことだけで、十分にその存在を認められ大事にされる。



どうしても「終の住処」というと施設か自宅かの選択のような話になることが多いのですが、自分が生まれた時に何をして欲しかったのかを考えると、死ぬときもまた同じであるように思えます。
ただ、自分が新生児だった時の記憶が誰も残っていないので、なかなか本当に必要なことが見えないのかもしれませんね。




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