事実とは何か 30 <原題は「Tiger」>

「汚れたミルク」という邦題は、どのように決まったのだろうと気になっています。


原題は「Tiger」なのですが、なぜ乳児用ミルクの「告発」映画に「Tiger」かというと、映画の冒頭で「巨大多国籍企業」に就職したアヤンや新入社員が、意気高揚のために虎の吠え声を出させられるシーンがあるからなのだろうと思います。
日本の会社の風景でもありそうですよね。拳を揚げて、「売るぞー!」という感じ。


貪欲に利潤をあげるようにと会社に従った営業マンが、適切に調乳されないミルクを飲まされた乳児が死んでいることを知って罪悪感を感じ、病院関係者を金品で取り込みながら利潤を揚げていることを告発しようと決心したことで本人や家族の身に危険が及んでいく話です。


この映画の「実話」が1970年代の話であれば、「汚れたミルク」という邦題でもよかったのかもしれません。
ところが、1997年に実際に起きた収賄内部告発をもとにしているという点では、邦題は意訳し過ぎの印象を受けました。


不適切な調乳によって乳児感染症栄養失調をどれくらい増やしたのか、本当のところはわからないにしても、1990代にはすでに開発途上国でWHO/UNICEF「母乳推進運動」を広げていました。
とりわけその発端になった巨大多国籍企業の営業マンであれば、1997年の時点で「清潔な調乳」の意味を知らないはずがないことでしょう。
あるいは、パキスタンの小児科医にしてもすでに「当然の知識」のはず。


ところが、なぜ1990年代末にもなって「巨大多国籍企業のミルクで5人の乳児が感染症で死んだ」という話を、アヤンも友人の小児科医も「真実を知ってしまった」と受け止めるのか。
冒頭から、時代考証に疑問がある映画でした。


内部告発によって身に危険が及ぶのは、対「巨大多国籍企業」だけでなく富裕層や政府に抵抗するだけでも、こちらの記事こちらの記事に書いたようにサルベージされることが日常的に起こる国や地域があり、アヤンはそういう状況に生きていたのだと思います。


似た様な地域で生活をした印象としては、「賄賂を許容して生き延びるか」「正しい生き方を選択して貧困やサルベージの危険性のある生活を続けるか」という、極端な選択しかない社会なのかもしれません。


まだ上映中の映画館もあるようなので、細かいことを書けないのですが、この映画はどちらかというとアヤンのその二つの世界で揺れた話だったのではないかと思います。
そして原題どおり「Tiger」にしておけば、ノンフィクション映画として価値があったことでしょう。


ところが、「母乳で育てていれば死ななかった」という台詞を入れ、意訳した邦題にしたことで、どこを切っても金太郎プロパガンダ映画になってしまったのだと思います。




「事実とは何か」まとめはこちら


この映画を見て考えた記事をまとめたのがこちら