乳児用ミルクのあれこれ 38 <ミルク・ナースとは>

乳児用ミルクの「多国籍企業」批判のひとつが、乳業会社からの栄養士などの専門職が調乳指導のために産院へ派遣されていたことではないかと思います。


たとえば、「母乳の政治経済学」(ガブリエル・パーマー著、1991年、株式会社技術と人間)の「金持ちにも貧乏人にも売りつける」(p.203~)にネスレのミルク・ナースが書かれています。

「必ず医者の指示の下に使うこと」という「倫理的」な説明書をつけて販売しています、と米国では自慢した会社も、第三世界に進出して売り込みを行った時には、この方針を放棄した。自社の製品を母親達になんとか使わせようと、知る限りの手をつくした。例えば広告版、ラジオや新聞の広告、そして「ミルク・ナース」というのは女性の販売員である。ネッスル・ナースと呼ばれるこの女性達は看護婦の格好をしていて、赤ん坊の口から、よく出るお母さんのおっぱいをもぎとり、代わりに乳児用ミルクを流し込んだ。ミルク・ナースにはちゃんと看護婦の訓練を受けた者もいたが、看護婦の資格があるかないかはこの際問題ない。というのは、彼女達は乳児食品会社に雇われて、乳児用ミルクを売るため新しく母親になった女性達を病院に、あるいは家庭に訪問して歩いたからである。資格のある看護婦達を会社が雇ったために、ただでさえひどく不足していた看護婦を新しく成長してきた保健業務部門から奪い去った。これら看護婦達は、一つ売れたらいくら、というように手数料をもらっており、保健業務で働いている訓練を受けた看護婦の誰よりも高い収入を得ていた。

1991年にこの本が出版された頃、私は「吸わせれば母乳は出る」だろうと思っていた頃でした。
この本の「政治経済学」という学問的なタイトルに魅かれて購入したのですが、今読み返してみると、なんと感情的な文章が多いのだろうとちょっと驚いています。
まあ、編集者の名前を見れば、今なら買わなかったことでしょう。


それはさておき、ネスレのこの「ミルク・ナース」の批判は哺乳びん病としてどこを切っても金太郎のように目にする話です。


「不衛生な水での調乳」が乳児死亡の原因であれば、衛生的な調乳方法をこのミルク・ナースに託せばよいのではないでしょうか。


「貧乏人に高価なミルクを買わせる」ことが問題であれば、適正な価格で乳児が適正な栄養をとれるようにすることが答えのはず。
乳児向けに調整されたミルクを購入できない人たちは、おそらく乳児の消化能力に負担がかかる食品を探して与えることでしょう。
わずか半世紀ほどまえの日本でさえ、常時、離乳しているのが乳児の栄養だったのですから。


あれから二十数年が過ぎましたが、当時、ミルク・ナースを選択した人たちから見た状況というのはどうだったのだろうと気になっています。



その仕事を選択した人たちの中にも、乳児の栄養失調を問題だと感じ、ミルクが必要だと考えて働いていた人もいるのではないかと思います。
いつの時代もどの国でも、ミルクが絶対に必要な乳児がいるのですから。


でも、そういう具体的な話は伝わることなく、看護職としての専門性も揶揄された呼び名で、多国籍企業に雇われた手先のようなレッテルを貼られてしまったのではないでしょうか。
いったい当時、何が問題だったのか。
鵺のように広がり、強固になっていく乳児用ミルクへの批判のなかで、すでに事実を探り出すことが難しくなってしまったのかもしれません。




そういう国で看護資格を持った人たちは、かつてはミルク・ナースそして現在では先進国の病院へと流出しているのかもしれません。



この四半世紀の母乳推進運動とミルクを買わせないための政治的運動の流れを見ると、貧困と乳児死亡の高さの根底にあることは、いつまでたっても私たちからは遠い世界なのだと思えるのです。




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「汚れたミルク」という映画を観て考えたことを書いた記事がこちら