記憶についてのあれこれ 117 <「短期中期長期の3つの視点で考えなさい」>

幼児に向かって「無とは何か」を問い、女子高校生だった私に男女関係の心配よりは「イデオロギーに入り込むな」と忠告する父でしたが、もうひとつ人生でとても重要だと思うアドバイスがあります。


それは、たしか看護学生の頃だったと思うのですが、「物ごとを考える時には、短期・中期・長期の3つの視点で計画を考えなさい」というものでした。


医療や看護には急性期から回復期あるいは慢性期といったとらえ方がありますから、この父のアドバイスは腑に落ちるものがあったのですが、若気の至りで「そんな当たり前のことを」と反発して聞き流していたのでした。


ところが、自分自身が少し管理的な業務を任される頃になって、この短期・中期・長期の視点がいかに大事か、そしていかに現実にはそう考えることが難しいかということを実感するようになりました。


「いますぐに実行できそうなこと」「半年から1年ぐらいかけて改善していくこと」「もう少し長い目でみて2〜3年から数年ぐらいかけて改善すること」を意識していけば、職場の混沌とした問題にももう少し解決策が見えそうなのに、案外と難しいものです。


おそらく短期・中期・長期計画が理解できるためには、まず好きか嫌いかが、正しいか間違っているかになりやすいという気持ちの問題を整理するあたりが、一番の難点かもしれません。
あるいはそれをした場合としなかった場合の比較を客観的にとらえられずに、「これがよい」と方法論だけが広がってしまうので冷静になれないこともあるかもしれません。


スタッフのそれぞれの気持ちや経験量あるいは価値観を調整することは、本当に大変。
少しまとまってきたかなと思っても、人が入れ替わるとまた一からやり直しもしばしば。


短期計画でさえも、折り合いをつけるところに労力が必要ですね。
いえ、でもこちらが合理的だと思ったことを通そうとすれば、それは自分の理想論をおしつけているだけで現実の解決方法ではないわけですから、折り合いをつける段階が最も大事なのかもしれません。


また、短期計画は勢いで実行できたとしても、中期・長期になれば、「その方法で良かったのか、悪かったのか」と常に見直しが求められますから、失敗学の視点が必要になります。
ところが「うまくいかなかった」ことを認めるのは、「自分の否定」ととらえる感情も根強くて、なかなかそこから先へと進みません。
あるいは10年、20年という長さで物事を見直すことは、50代になった私でもけっこう大変なことだと実感しています。



他の看護領域の深まりに比べて周産期看護の迷走を見るにつけ、この短期・中期・長期の3つの視点が欠けていることが最も大きな理由のように思えるのです。



特に、出産の医療化は「誰もが無事に出産を終えたい」という人類のたってない希望をかなえる変化であるはずなのですが、その変化に対しての長期的な視点、それは半世紀から一世紀ぐらいの長い視点でしょうか、それを一部の助産師が見誤ったからに他ならないと思います。




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