発達する 2 <「老年期の発達課題」>

発達課題については、現在の医療関係の教育の中では当然学んでくる内容だと思いますが、私が看護学生だった1970年代終わり頃にはまだ馴染みのない言葉でした。
小児の発達段階ぐらいはあったかもしれませんが、80年代終わり頃に助産師学生として看護学を学び直した時にはエリクソンの発達段階が教科書に書かれていたような記憶があります。


その後、急速に看護学の中でこの発達課題という言葉で、ケアが見直されていったのかもしれません。


看護学も80年代頃までは、母性・小児以外は、内科・外科などの疾患別の看護学の分類だったものが、いつ頃からか、成人看護学、老年看護学、小児看護学といった発達課題を基礎にした分類に変わっていました。


医学を生活する主体に対して応用する看護であれば、この発達段階に合わせた分類するのは理にかなった変化のように思いました。


<「老年看護学概論」より>


時々、医学関連の書籍を豊富に扱っている書店を巡るのですが、主に周産期看護の本を見ていました。
他の看護の分野の本は、さっと表紙を眺めて現在の傾向を知る程度です。


両親に介護が必要になり、そして私自身も老眼筋肉の衰えを感じているのに、「老年看護」の教科書を読んだこともないことに気づきました。


父の様子から老年期の発達課題とはなんだったのかと検索してみたら、「老年看護学概論・老年保健」(鎌田ケイ子・川原礼子著、2012年11月、メヂカルフレンド社)の一部分が公開されていました。



その10ページに「発達課題」というコラムがあります。

発達課題は教育学や心理学の分野で、子ども(乳児期、幼児期、児童期、青年期)の発達についての課題を提示するものであったが、成長していく人間だけでなく成人期や老年期においても直面する特有の課題があり、生涯発達としてとらえられるようになった。
最初に発達課題を提唱した教育心理学者のハヴィガースト(Havighurst.R.J.)は老年期の発達課題として体力と健康衰退への適応、退職と収入減少への適応、配偶者の死への適応、同年代の人との親しい関係の確立をあげている。エリクソン(Erikson,E.H.)は老年期の精神的危機を様々な喪失からくる「絶望(嫌悪)」と長い人生を生き抜いて来たことで得られる「統合」を対立する発達課題ととらえ、それを乗り越えるものが経験に裏打ちされた叡智であると言っている。

いろいろな考え方や見方があり、その中で少しずつ発達段階という形で、それぞれの年代の行動の特徴の法則化が試みられているようです。


それをふまえた上で、「老年期の発達課題」の「老年期の特徴」は以下のように書かれています。

老年期は衰退や死を自覚し、職業からの引退などをとおして自己の存在感や価値を見失う。人生の最終段階で直面する精神的危機である。
人間の行動には、学習によらないで自然の結果として成熟していくことはまれであると言われている。老年期においても、生活していく中で学ぶことができる。したがって、生涯におけるこれらの課題をマイナスにとらえるのではなく、自分の人生の完成に向けての課題ととらえ、前向きに対応していけば、老年期をその人らしく納得のいくものとすることができる。

ああ、現代の看護学生は、「老い」についてこんなにも系統だった詳細な知識を学ぶことができるのですね。
うらやましいかぎりです。





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