完全母乳という言葉を問い直す 39 <医師が処方をしなければミルクを手に入れられない>

うさぎ林檎さんのTwilogで、国境なき医師団(MSF)の「イラク:『食べ物の入手が問題ではないーー乳幼児の栄養失調、なぜ多い?」という記事を知りました。



久しぶりの「完全母乳という言葉を問い直す」ですが、2012年にこの記事を書き始めたのは、日本国内のお母さんたちに「完母(かんぼ)」という言葉が広がっていた頃でした。
「母乳だけで育てる」ことが、ある人たちには「熱意」や「悲願」となり、ある人たちには「重圧」や「挫折」となって、目の前の赤ちゃんを無事に育てるというごく当たり前の目標を見失わせるような風潮はまだまだ続いています。


それでもまだ、日本国内ならお母さんが自由に粉ミルクを購入できます。


私が、最も心配していたのは、その粉ミルクの購入さえ誰かに規制されてしまう状況になることでした。
特に、「母乳代用品は医師の処方を必要にするべきである」という価値観が広がることによって。




<モスルの乳幼児の栄養失調の原因は何か?>



MSFの記事では、栄養失調患者の「ほとんどは1歳未満」「生後6ヶ月未満に限っても60%」に達するとあります。
そしてモスル市内で食糧不足からキャンプに避難してきた人たちは、モスル外では食糧を手に入れることができるので、大人は短時間で体重が回復していくと書かれています。


それに対して、乳児はどうでしょうか?

入院中の子どもたちについてはきめ細かい容態管理が求められます。残念ながら再入院数は最高水準にとどまっています。自宅に子どもたちを残して来ている母親が多く、一時退院を希望するケースが目立ちます。栄養失調の治療は全治まで2〜3週間かかるため、中には医療者の助言を聞かずに帰ってしまう母親もいます。そうなると、交通手段がないなどさまざまな理由が壁となって簡単には病院に戻ってこられなくなってしまうのです。

このような戦闘地域だけでなく平和な日本でも、乳児が一旦栄養失調にかかると、体重を取り戻して順調な成長の軌道にのるまでは1ヶ月、2ヶ月という時間が必要なことは、小児病棟に勤務していた時に経験しました。
躊躇無くミルクを足せる状況でも、いったん栄養失調で元気がなくなった乳児に栄養を取らせることは大変なことなのです。
飲む気力すら無くしてしまうのが、乳児の栄養失調なのですね。


おそらく、こうした内戦という非日常的な状況でなく、食糧と平和な日常生活があれば、こういう地域では粉ミルクが手に入らなかったとしても、うまく母乳とそれ以外の食糧を組み合わせながらなんとか育てていたことでしょう。
ダナ・ラファエル氏が書いたように、「常に離乳している」という方法が、つい最近まで日本でも、当然のように行われていたのですから。


ところが、食糧がなく、身の危険を守ることが最優先の状況では、短時間で生命に危険が及ぶ栄養失調に陥るのが乳児なのだと思います。


<粉ミルク配給の政治的な壁>


もし、イラクの市場や店先に粉ミルクがあって自由に購入できていたら、おそらく、「母乳と他の食糧」という混合食では、栄養が足りなさそうという時にはなんとか粉ミルクを買って足したことでしょう。
それが、「常時離乳している」方法であり、なんとか手に入るもので子どもを死なせないように栄養をあげてきた、ダナ・ラファエル氏のいう「母親の英知」です。



ところが、その粉ミルクを親が自由に購入することが制限されたら。


政治的な"壁”もあります。国連児童基金ユニセフ)や世界保健機関(WHO)はイラクを含む各国で母乳育児を推奨しており、粉ミルクの配給は医師からの処方に基づいた場合のみとなっています。

イラクのような紛争下で乳幼児の栄養失調を予防するには、粉ミルクの配給しかないとMSFは考えています。栄養治療を受けていた子どもが退院する際や経過観察で来院した際には、MSFから粉ミルクを提供しています。もちろん母親たちに母乳育児の大切さを伝えています。その上で、もし粉ミルクが必要になったら使ってください、という意味でお渡ししているのです。

MSFのキャンプでは「医師が粉ミルクを処方」したということにできるのかもしれませんが、自宅に戻れば処方してくれる医師にかかることも難しいことは容易に想像がつきます。
ですから、MSFも「必要だと認めて処方」という態度をとりつつ、実際には「使う判断は親に任せる」というダブルスタンダードで粉ミルクを渡さざるを得ないのでしょう。


なんだか簡単なことを難しくしているのではないかと思いますね。


それにしても医療救援活動の実績のあるMSFにして、やんわりとしか批判できないこのWHO/UNICEFの母乳推進運動は、誰のためになっているのでしょうか。




「完全母乳という言葉を問い直す」まとめはこちら
合わせて、「母乳育児という言葉を問い直す」「乳児用ミルクのあれこれ」もどうぞ。