事実とは何か 42 <「産後うつ」とも違う人たちの出現>

マタニティブルーや産後うつに関しては、1990年代からすでに分娩施設や保健センターでは少しずつ経験が積まれて、対応方法が言語化されてきたのではないかと思います。



以前、精神の正常と異常で80年代からのおおざっぱな変化を書きました。
最近は、今までの「産後うつ」に対するイメージがもはや古典的と感じるほど、臨床で対応に苦慮するような新たな妊産婦さんが出現した印象があります。
私が助産師になった30年前には遭遇することがなかったような、新たな「何か気になる人の増加」です。


ただ、周産期看護領域では、「経験を積み重ねて、自分たちなりに『何かある、何か変だ』という疑問から症例報告としていき、Reviewとなり、大規模なスタディになっていく」システムが脆弱なので、あくまでも私と私の周囲の仲間の印象の話なのですが。


とりわけ、産科では胎児・新生児というもう一つ新たな人生への責任が加わりますから、こういう傾向は日本全国の他の分娩施設でもあるのだろうか、どのように対応しているのだろうかと気になるのですが、こういう傾向が個人の問題から社会化されて認識されるまでには、おそらく10年、20年という長さが必要なのだろうと思います。


<感情が整理できずに空回りする>



その「気になる人」も一様ではないので、なかなか言葉では表しにくいのですが、こんな状況が増えました。

・こちら側の説明を「説教された」ととらえる。
・説明や見通しを話しても自分の判断を貫き、うまくいかないと「説明してもらっていない」「何もしてくれなかった」と苦情になる。
・何か気に入らないとスタッフ(医師に対しても)に、「あのスタッフを替えて欲しい」とはっきり言う。
・「自分への対応が悪い」と感じたら、表現しなければ済まない。
・次々と沸き上がってくる不安を誰かに聞いてもらわないと気が済まないが、こちらが提示した現実的な対応方法は受け入れない。


まだまだあるのですが、うまく表現しきれません。
そして、こういう人の中にある日突然、それまで強そうにしていたものがポキッと折れたかのようになる方がいるので要注意です。


だから、私たちは「なんとなくこの人は危ないね」という感覚は共有しているので、トラブルをおこさないようにただただ受け止め、退院して無事に1ヶ月健診が終わると、スタッフ一同肩の荷が降りたように脱力するのです。
ただ、そのあとも大変だろうなと思いながら。


なんとなく最近みえてきたのは、自尊心がとても強くて自分がないがしろにされると感じる場面に敏感で、「わかっていないと思われて説明される、注意される」ことが嫌いのようです。
でも現実には、妊娠・出産、子どもの世話は思う通りにいかないことばかりなので、「自分ができない、わからない」ことに直面しなければならないのですが、そのあたり自尊心との間で空回りしている感じです。


自尊心の強さも、自信のなさの裏返しなのでしょうか。
かけがえのない自分という自尊心とちっぽけな自分のバランスがうまくとれていない、そんな感じ。


その人に「私に関わらないで」と言われたスタッフも、かけがえのない自尊心をもった1人の同じ人間であり、どれだけ心を痛めるかも見えない精神状態はどうやってできあがるのだろう。


精神のグレーゾンというのは、宇宙のように果てしないものだと感じています。



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