散歩をする 49 <「春の小川」を歩く>

前回の続きで、いよいよ「春の小川」へ。


東京都建設局のホームページにも、「春の小川」の説明と、河骨川(こうほねがわ)の地図があります。


散歩に行く前と帰ってからとその地域を検索すると、すでに何人もの方がそこを目指して歩いた記録が見つかります。
同じ所を歩いているようで、やはりそれぞれの視点や関心の違いがあるので、それも面白いものです。


今回は散歩に行く前に、「武蔵野の水辺」というブログの「渋谷川−6(宇田川支流、河骨川)」を参考にさせていただきました。
前回の富ヶ谷付近の高低差がわかりやすい写真もあります。


その中で「春の小川(河骨川)」にはさらに二つの支流があることを知り、是非、それを辿ってみたいと思ったのでした。


<代々木八幡付近から春の小川の段丘を歩く>


代々木公園駅代々木八幡駅付近で、河骨川ともうひとつの河が合流して宇田川になり、渋谷川そして古川へと変化してきます。


この河骨川の跡は、小田急線の線路沿いにあるのですぐにわかります。
子どもの頃から小田急線は比較的よく利用していて、このあたりは「私鉄沿線の都会の風景」というイメージだったのですが、まさか水田が広がっていたとは想像もつきませんでした。


今回は「ハケ」がテーマですから、この河骨川よりも高い場所を歩いてハケの上とハケの下を見てみようと思いました。


小田急線の踏切を渡ると急な坂道になりますが、よく見ると、川のそばにある道路からは、まるで段々畑のように高い方の道路へ段丘のような高低差があることがわかります。
何気なく見ていた車窓の風景ですが、こんな地形の利用のされかたがあったのですね。


しばらく、春の小川を下方に眺めながら歩くと、さらに参宮橋駅方面への急な坂道が続きます。
そこからさらに甲州街道方面へ上ると、河骨川の二つの源流の合流点があるようです。

河骨川、二つの源流を探して


河骨川の源流は二つ。一つは代々木4丁目に有った旧土佐藩山内侯爵邸(現在マンション)の湧水地。侯爵邸の一帯は戦前まで渋谷区に最期まで残っていた水田だったと言う。
もう一つは初台1丁目30から43番地に掛けての窪地。

しかし今どちらも地上からその湧水の痕跡を見ることはできず、都会の住宅地に埋没していてこれといった指標もなく、特定が難しいようだ。

片方はマンションになっているようなので、今回は初台方面からの源流の痕跡をたどってみようと思いついたのでした。


住宅やビルが立ち並ぶ参宮橋周辺ですから、事前に地図を見てもどこからその源流を辿れるか自信がありませんでした。
いつも何かと助けられているさすがのiPhoneの地図でも高低差がわからないし、一か八かの気分で出発しました。


ところが、前回の富ヶ谷近辺と同じく、片側が高いところは案外と簡単にわかり、それを目印に道なりに歩くと「湧水の合流点」に到着しました。

湧水二つの合流点


切り通し坂を降り切った谷底に、道に交差する形で河骨川の暗渠道が通っている。写真は北側、甲州街道方向。道の過度に小さな公園(代々木第四公園)がある。
この奥で、源流が左右から合流。現在暗渠になっている写真チュウプをこちら側に流れていたと思われる。


このサイトの方とは反対に、私は下側から登ってきましたが、坂の混じり具合とでもいうのでしょうか、すぐにここだとわかりました。


そこから途中、玉川上水の跡に作られた公園を越えて初台駅まで歩き、今日の散歩は終了。


春の小川に向けて湧き水が流れ込み、周囲の水田を潤していた。
あの東南アジアで見た棚田の風景のような感じだったのでしょうか。


「春の小川」をハケに沿って歩いて大満足の散歩でしたが、さらにうれしいことがありました。
その直後にふらりと入った書店で、こんな本を見つけました。

「「春の小川」はなぜ消えたか  渋谷川にみる都市河川の歴史」


田原光泰氏、之潮Collegio、2011年

今まで目に入っていなかったこと、知らなかったことが、偶然見えるようになる楽しさですね。



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