野川の武蔵野公園沿いにある道が「はけの道」で、2017年ごろに「ハケ」を知って以来、少しずつその道を歩きました。
武蔵野公園内の野川左岸は、まさに崖線で樹木が生い茂っています。
そこを抜けると崖線にも住宅などが建つ地域を緩やかに蛇行しながらはけの道が続くのですが、その区間だけまだ歩いたことがありませんでした。
鬱蒼とした崖線の林の中に、ところどころハケの上を結ぶ見上げるような石段があります。
途中、「本当に必要でしょうか。ハケ、野川公園とわずかに残る自然景観公園を壊しての都市計画道路」という手書きの絵のポスターがあり、その横に道路の説明がありました。
都市計画道路 小金井3・4・1及び3・4・11号線は必要か?
小金井3・4・1号線は、ムジナ坂を斜めに鋼製橋梁で横断します。ムジナ坂は、自然派文学「武蔵野夫人」の舞台です。ハケの道沿いには、洋画家中村研一ゆかりの「はけの森美術館」、アトリエや茶室(国の文化財)、泉が湧く「美術館の森」があります。
歴史の長い小金井神社、市民運動で残された幾つもの公共緑地も連なっています。
また、地域の人々の生活に不可欠な保育園、小中学校、防災施設等は、現在の道路網に沿い、人に優しい規模で配置されて、コミュニティが形成されています。
小金井3・4・11号線は、ハケの森と野川をコンクリート橋梁で横断します。
都市の自然が急速に縮小するなかで、野川と水田跡地とハケの森の豊かな自然は、多様な生物の生息空間であり、美しい自然景観は都民のオアシスになっております。
ハケの雑木林、水田跡の草原、野川の3つが連続した自然環境の多様性に恵まれて、植物約400種、昆虫約250種、鳥類約40種の多様な生物が生き続けております。
希少種は、レッドデータブック東京2013の掲載種だけでも96種に上ります。
また、植物の在来率は、ハケの森86%、野川と調整池66%と極めて高く、江戸時代以前から続く在来植物の「遺伝子の保管庫」、「貴重な種子の供給源」になっています。
この区域は、国分寺崖線と野川で繋がり、「水と緑の回廊」を形成し、動植物の移動ルートになっており、国分寺崖線と野川流域の「生息中枢」という役割を担っています。
将来の世代が必要とする貴重な自然を、僅かな利便性のために、壊して良いのでしょうか?一度壊せば、再生不可能です。私たちは、次の世代に引き継ぐ責任があります。
野川ほたる村&関係住民の会
半世紀以上前の、私が子どもの頃の武蔵野の面影が残るハケの下の道沿いです。
ただしその半世紀前にもまた、水田から住宅地へと大きな変化があったのでしょう。
住民の公共の足と緊急車両のための道は必要だと思うのですが、やはりこれ以上人や車が静かな場所に集中するような道を新たに造るのは慎重になってほしいなと思いながらも、こういう公共のことはその地域のさまざまな立場の意見を収斂し、納得を得るまでの葛藤や譲歩には時間が必要ですし、見守る側も忍耐が必要ですね。
まるで雑木林の中を歩いているようなはけの道を進むと、地図にはない小さな水路が崖から流れていました。
旧中村研一邸の背後の崖からの湧水が小さな流れになり、はけの道を越えて野川の方へと住宅の間に流れています。
昔の小川のような流れのそばに遊歩道があり、生活の道でもあるようです。
その隣は畑で無人販売ロッカーがあり、じゃがいもとピーマンを買いました。
両側が住宅地になってきましたが、右手の崖線の気配を感じながら歩くと森のような庭のある家と古い木戸が保存されていました。
上空を飛行機が何機も通過していくのは、福生からでしょうか。
崖線に並行して続いていた道がハケの上へと大きく曲がり、近くに真っ直ぐ崖の上に行く石段がありました。一段一段と上るにつれて、現代へと引き戻されていく不思議な階段でした。
「落ち着いた街」まとめはこちら。
*ハケや崖線の散歩のまとめ*
1990年代ごろに通勤で利用していた中央線沿線にこんな場所があったことを全く知らなかったのですが、そのうちに国分寺崖線を知り、さらに2017年に「ハケ」という言葉を知ったことがきっかけで見える世界が違ってきました。そんな散歩の記録がたまってきました。
こちらをハケや崖線の散歩の記録のまとめにしようと思います。
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