散歩をする 102 <利根川河口へ>

1時間に一本の電車ですから、時刻表を見ながら綿密に計画を立た、つもりでした。

干潟駅から国道126号線沿いに歩いて次の旭駅で電車に乗り、銚子まで行く。利根川河口をみてから、銚子電鉄に乗り外川まで行って海をみる

銚子に戻ったら成田線で成田まで利根川沿いの風景を見て、途中で京成線に乗り換えて、印旛沼の上を電車で通過する。

結果、まあまあ8割の達成率でした。

 

干潟駅から旭駅まで*

干潟周辺の地図を眺めていて、まず目に止まったのが新川でした。そして、国道から少し離れたところに新川排水機場があります。

「新川」というのは今までの散歩でもあちこちにありました。猫の街とか塩の道とか、仙川の上流部分とか。

川というより水路という風情ですが、その一本の水路からさまざまな歴史を知ることになるので大事な場所です。

 

その新川の手前に鎌数伊勢大神宮がありました。水の神様かと思ったのですが、干潟八万石にゆかりがある神社であることがわかりました。

その2箇所を見れば十分と思い、歩き始めました。

 

駅に降り立つと、霞むほどではないのですがあの懐かしい香りがしていました。

小さな川の土手には、房総の明るい日差しの中で水仙が群生している場所があちこちにありました。

しばらく歩くと鎌数伊勢大神宮があり、こんな由来が書かれていました。

当地は寛文十一年(西暦1671年)迄は椿の湖という周囲約42キロメートル、東西12キロメートル、南北6キロメートルの湖でした。

江戸の人、白井次郎右衛門、伊勢桑名の人、辻内刑部右衛門という二人がこの湖の干拓の工事を始めた。農民、漁民からの強い反対があり工事を中止することにした。この上は神様の御助けに依らねばと考え両氏は伊勢内宮梅谷左近大夫長重神主に工事遂行の大祈願をお願いした。両氏は御神木と御神礼を持ち帰りこの湖水に浮かべたら、流れ流れて今の大神宮近き東方の岸に着いた。これは神様のお示しだと考え工事を始めたら、不思議な事に農民漁民から反対もなく工事が進んだ。

寛文十一年十二月二十八日に〆切の式を行って九十九里浜に水を流した。寛文十二年五月に待望の大干潟が生まれ十八の村ができた。これを干潟八万石という。寛文十二年五月に大業完成感謝記念として梅谷左近大夫長重(現宮司十二代前)神主により現地に伊勢皇大神宮より御分霊をおうつしして干潟の総鎮守産土神としておまつりした神宮である。

この由来の行間を読むには、相当の知識が必要そうです。

 

神社のすぐ近くに新川が流れていて、排水機場も見えました。そばで見てみたかったのですが、寄り道をすると次の電車に間に合わなそうなので先を急ぎました。

新川を超えると、おそらく干拓地ではなかったと思われる風景が続きます。

旭駅が近づいてきて、ちょっと時間が足りなくなりそうな予感がしました。総武本線の一駅区間というのは歩いて1時間はゆうにかかる距離のようです。

あと数分で次の電車が来るというあたりで、地図を見て駅のある方向へ歩いて行ったところ、まさかの改札口は1箇所だけ、線路の反対側ということに気づきました。

1時間に1本の電車は、無慈悲に目の前を通り過ぎて行きました。

 

ところが、捨てる神あれば拾う神ありですね。

 

*外川の海を見に行く*

今日は銚子まで行き、さらに銚子電鉄に乗るという欲張った計画をたてました。

旭駅で電車に乗り遅れたので、銚子駅についたらお昼ご飯を食べる予定が時間が足りなさそうです。

でも利根川の河口だけは見たいと、歩いてみました。

河口は狭くなっていることが銚子市の名前の由来であることを初めて知ったのですが、それでも河口の公園に立つと川幅が結構あって、少し鳥肌が立ちそうなぐらい滔々と水が流れていました。

今年の夏に利根大堰を見た時に、この河口もみたいとずっと銚子へいくことを楽しみにしていたのでした。

 

さて、空腹のまま今度は銚子電鉄に乗り込みました。車窓の風景は三浦半島に似ています。台地にはキャベツ畑が青々と続いていました。

ほとんどの乗客が犬吠駅で降り、終点の外川に降りたのは三人ほどでした。

駅舎を降りたところから太平洋の海が見えます。結構な勾配の坂を降りて、漁港まで歩いたところ「営業中」のお店がありました。

もう気持ちは井の頭五郎氏ですね。定食を頼んだのですが、お刺身も魚のフライも本当に美味しかったです。

何よりも、座っているだけで海を眺められる特等席でのお昼ご飯でした。きっと、旭駅で電車を逃していなければ、たどり着けなかった幸運でした。

 

 

利根川を遡る*

銚子駅に戻り、帰路は成田線に乗る計画をたてていました。

地図でみると成田線の線路から利根川まで距離があるように見えるのですが、おそらく水田地帯なので利根川の堤防まで見えるだろうと予測した通り、利根川や手前に流れる黒部川などが間近に見えました。

予想外だったのは、鹿島臨海工業地帯の工場群まで見えたことでした。

そして北西には筑波山も見えます。

利根川流域が、昔は海であったことが実感できる風景が続きました。

 

さて、綿密にたてたつもりの計画の最後にも大失敗がありました。印旛沼の真ん中を通過する京成線に途中で乗り換えるつもりだったのですが、成田空港まで行かなければ無理のようです。あ〜なんで地図をみているときに気づかなかったのかと、後悔しました。

そして午後4時過ぎにはあたりが薄暗くなってきたので、京成線に乗れたとしても車窓からははっきり見えなさそうです。

冬の散歩は時間が足りないですね。

 

結局、そのまま成田から我孫子に出て千代田線で帰ることにしました。

あたりは夕闇が迫っていましたが、安食のあたりまで夕日に輝いている印旛沼を見ることができました。

 

 

 

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