境界線のあれこれ 91 常陸利根川

実際に散歩をしてみることで、最近は利根川河口周辺の複雑な水色の部分を思い描くことができるようになりました。

利根川があって、下流では常陸利根川という川が並行して流れて、河口付近で合流して銚子の海へと流れています。

そして常陸利根川を辿ると霞ヶ浦と繋がります。

常陸利根川の途中では、大きな池か湖のような場所があって、北浦からの水が流れ込んでいます。

そのあたりまでだいたい思い浮かべることができるようになりました。

 

11月にその常陸利根川に沿って霞ヶ浦までバスで行きました。

まっすぐに流れる常陸利根川は、放水路のように見えました。

 

常陸利根川を検索すると、頼みの綱のWikipediaの記述はなくて、weblio辞典には「利根川水系」とだけ書かれ、「霞ヶ浦」としてWikipediaに書かれている以下の箇所がありました。

霞ヶ浦かすみがうら)は、茨城県南東部に広がる湖。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。「霞ケ浦(大文字のケ)と表記することもある。西浦・北浦・外浪逆浦(そとなさかうら)・北利根川・鰐川・常陸川の各水域の総体であり、一部水域は千葉県北東部にも繋がる。河川法ではこの範囲を「常陸利根川」という利根川の支川としている。 

 

霞ケ浦も北浦も、常陸利根川の一部ということなのでしょうか。

いやはや、沼なのか、川なのか、海なのか池と沼、池と湖などは定義はなさそうですが、川といっても専門的に理解するということは本当に難しいですね。

 

 

*おまけ*

 

Wikipediaなどを見てもほとんどその歴史が見つからない常陸利根川ですが、「神栖の歴史」の「第4章 近代をむかえた神栖」の「2.  水害と闘う村びとたち」の中に、まだそれができていなかったときのことが少しだけ言及されていました。

明治18年、同38年の地図を比較しますと河道と湖の変化する様子がよくわかりますが、この頃は新しい常陸川はできていません。この改修工事は日露戦争(明治37、38年)で予算が削られたりして昭和5年まで実に30年の歳月をかけて行いました。(p.188)

 利根川東遷後の河川改修の年表を見ると、「1907年 利根川第2期改修工事着工」とありますからこれ以降のどこかで常陸利根川が誕生したのでしょうか。

 

 

 

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