電車に乗って今までに行ったことがない街を歩くと、似ているような風景でもその背景はまったく異なるのだということが少し見えてきました。
たとえば最近は、どこでも同じような商業施設ができて街の風景も似ています。あるいは車窓からみる郊外の田園風景も同じように見えます。
ところが、川や水路を手掛かりに地形を見るだけでも、全く異なる風土のようなものができてきたのだろうなと、その歴史に興味が湧いてきます。
同じような水田地帯でも、干拓地とそうでない場所の違いが見えてきたように。
その地形を手っ取り早く知ることができるのがこちらの記事に書いたように、地名かもしれません。「丘」とか「沢」といった漢字が含まれるだけで、ある程度その周辺の地形が推測できます。
あるいは「〇〇新田」といった地名があれば、その地域が開拓されたおおよその年代も推測できそうです。
ところが今回、房総半島を訪ねてみて、今までの地名の解釈ではまだ足りない何かを感じました。
*読めない、意味がわからない地名*
中には写実的ともいえるわかりやすい地名もありました。
たとえば、干潟駅に行く途中に「松尾町水深(みずふか)」という地名があります。地図を見ると、そこには川が流れています。実際に車窓から見ると、用水路とは違う水量の多い河川が、水田よりも低い位置に流れていました。
想像通りの場所ですね。
そして次に「横芝」という地名があります。芝に関連しているのかなと想像していたのですが、そこを通過していてもしかしたらとピンときたことがありました。
成田空港へ向かう飛行機が着陸態勢で上を通過していきます。おそらく成田空港建設問題でいつも耳にしていた芝山町の横(隣り)という意味ではないかと。
地名にもいろいろな歴史が記録されているのだと感心していたら、つまずいたのが「読めない」あるいは「読めそうだが微妙に読めない」地名が多いことでした。
たとえば、「八街(やちまた)」は落花生で有名ですし、「酒々井(しすい)」はアウトレットで耳にするようになったので読めますが、結構読み方が難しいですね。
特に、銚子から成田線に乗ったら、「え?そう読むの?」と驚く地名が続きました。
「下総神崎(しもうさこうさき)」、「小見川(おみかわ)」、「佐原(さわら)」、きわめつけは「木下」でした。「きおろし」です。
銚子電鉄にも「笠上黒生(かさがみくろはえ)」「海鹿島(あしかじま)」がありました。
「上総(かずさ)」「下総(しもふさ)」と覚えていたのですが、Wikipediaを読むと、間違いではないけれどもっと意味が深いようです。
そもそも江戸時代に入る頃までは房総半島は島のような場所だったことを知ると、こうした名前の見方も変わってきますね。
房総の地名の由来を考えるだけでも、おもしろい散歩ができそうです。
「世界はひろいな」まとめはこちら。