事実とは何か 48 <何を聞き取っているのか>

先週、一人で外食をする機会が続いたのですが、何を食べようかとわくわくしながらお店に入りました。
目の前に運ばれて来た美味しそうな食事に、意識が集中し始めたその時でした。


「○○さんが、倒れてね。△△という病気だったらしいのよ」
「寝たきりになって、いろいろあったらしい」
そんな会話が聞こえてきました。いえ、聴こえてしまいました。
別の日にも、全く違う場所で同じ様な場面に遭遇しました。


たいがいは中高年の女性の会話です。
プールの中でも最近、そういう話題を聞きながら泳ぐことが多くなりました。


たぶん、「聴力」が加齢に伴って衰えてくるので声が大きくなりやすいこともあるのでしょう。また、高齢者の関心ごとは健康や病気のことになるので、どこでもこういう会話が多くなるのかもしれません。
そして高齢化社会で、周囲を見渡しても中高年以上が多い社会なので、こういう場面に遭遇する確率も高いのは仕方がないのですけれど。


でも、せめてお店で食事をしている時には、少し声を落とすか話す内容に気を遣ってくれたらと思いつつ、「いつか行く道」かもしれないと心に留めたのでした。



<感覚器の問題だけでないもの>



ただ、人の声や会話がうるさく感じるのは、相手側の要因だけでもないのかもしれないと、最近、考えています。


介護施設に入っていた知人は、耳が遠くなって会話も不自由なほどなのにある音には敏感になっていました。
それは「隣りや上の階の人の出す物音」です。
日中は気にならないようですが、夜中になるとそれが聴こえて来て眠れなくなり、人間関係でもトラブルを起こす理由になってしまうようでした。


話を聞いていると、幻聴に近い感覚ではないかと思ったり、でももしかすると聴覚の「加齢による可聴域の変化」に「老人性難聴となっても、比較的低い周波数帯の音に帯する聴力は良好に保たれている」とあるように、まだ聴こえる音に意識が集中してしまうのかもしれません。
「難聴」とひとくくりにできないもっと複雑な状況があるのかもしれませんね。


加齢に伴って聴力が衰えてくるというのはそうなのだろうと両親を見ても思うのですが、最近の私はむしろ若い頃に比べて音に敏感になっているような気もするのです。
だからもしかすると、周囲の会話がうるさく感じるようになったのは、私にも要因があるのかもしれないと。


なぜ敏感になったのか。
ひとつの可能性として思いついたのが、仕事での習慣です。
つねに、物音や気配に意識を向けてすぐに反応できるようにすることが、看護職やケアを仕事とする人の中に根付いた習性のようなものかもしれません。
ナースステーションにいても、病棟の端の方の音にも敏感になります。
あるいは、目の前の仕事に集中しているようでも、周囲の会話にもアンテナを向けて、同時にいくつもの業務をこなしていかなければいけない。


看護に限らず、そういう仕事の人は同じような傾向があるのでしょうか。


仕事外では、イヤホンなどをすれば外部の音や会話から解放されそうなのですが、反対にイヤホンで音や気配を察知できないことのほうが危険で嫌だと感じてしまい、悲しい習性と言えるかもしれません。


「聴力」とか「聴覚」というのは、感覚器の反応だけでなく、その人が長いこと習性にして来たことが大きな影響を与えるのかもしれないと思いついたのですが、事実は如何に。




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