泳ぎに行っている公共のプールでは、時間帯によっては、小学生とか中高年とか、ある対象の人たち向けの水泳教室が開かれています。
更衣室でその参加者の方々と一緒になることがあるのですが、全く見知らない方に話しかけられることもあります。
先日も、「全く泳げないのよ。困っちゃうわねえ」と、60代から70代ぐらいの方から突然話しかけられました。
最初は水泳教室のお仲間に話しかけているのかと思ったのですが、ふと周囲を見渡すと私しかいません。
どうやら、独り言でもなく、私に話しかけていたようです。
「あら、そうなのですか。でも水の中は楽しいですよね」と答えたのですが、「でも、泳げないのよ〜」と。
たしかにこちらの記事に書いたように、このくらいの年代層は学生時代にはプールも整備されていなかったことでしょうし、女性や障害を持った人あるいは高齢者がいつでも水着になって泳げる時代ではなかったことでしょう。
ふと、その方の育ってきた時代を知りたくなりました。
「昔は小学校にもプールはなかったのでしょうし、水泳の授業もなかったのですよね?今みたいに温水プールもなかったし」、と話しかけてみました。
その方は、「本当に今の子どもはうらやましいわねえ。泳げて」とおっしゃられていました。
きっと泳げるようになりたいと思っているのだろうと、そのわずかの会話から相手の気持ちを推測して、こんな風に話しかけました。
「そういえば、今年の春に1500mを泳いで世界記録を達成した100歳の方がいらっしゃいましたね。80歳から初めて水泳を始められたそうですよ。」と。
もしかしたら「そうか、私でも泳げるようになるかもしれない」と前向きになってもらえるかもしれないと思ったのですが、その方は突然返事もしてくれなくなり、そのままいなくなってしまいました。
あ〜あ。
母との会話を思い出しながら、あの方はただ聞いて欲しかっただけで解決したいわけではなかったのかもしれないと思いました。
「なんで泳げないのか」とただ感情で悩んでいるのであれば、どうすれば泳げるようになるかと「考える」ことにもつながるかもしれません。
でも悩むのでもなく、考えたいのでもない、ただ聞いて欲しいという気持ちには答えは見つからないかもしれないなあと思いました。
それでも「ただ聞いて欲しい」と思って話しかけた相手(私)が、その話に関心を示して話をつなげたことに、相手(私)にも関心を持ってくだされば、もっといろいろな話に広がって楽しい会話にもなったことでしょう。
ちょっと残念でした。
私は、その年代の方々がプールに来ることをどんな風に楽しいと思っていらっしゃるか、とても関心があったのですけれど。
ただ、その方の奥深くにあるお気持ちはわからないので、もしかしたら私の一言が何かにお役にたつ可能性もあるかもしれません。
「気持ちの問題」まとめはこちら。