記憶についてのあれこれ 124 <雪で立ち往生した時の母の運転>

先日の福井県の大雪で1500台もの車が国道での立ち往生したニュースに、私も一度経験したあの時の気持ちが甦ってきました。
ええ、もちろん結果的には比較にならないほどの降雪量でしたが。


母が認知症の父の世話をしながら、まだ両親が自宅で暮らしていた時でした。
時々、私が様子を見に家に帰って、母の運転で3人でドライブしながら美しい花や風景、そしておいしい食事を楽しんでいました。


3月で春の気配も感じられた日に、朝からお天気だったので隣りの県まで山を越えて桃の花を観に行くことにしました。
天気予報でも午後から雪か雨のところがあるとは伝えていたのですが、「大雪」という予報ではなかったので出かけました。


隣りの県でもコートがいらないくらい気温が上がり、暖かな春の陽気の中、あちこちを観てまわりました。
午後早めに帰路についたのですが、途中から雨が降り始め、しばらくすると雪になり始めました。
さすがに積もるほどにはならないだろうと高をくくっていたのですが、県境を越える頃には一面真っ白の世界になるほどでした。


県境から自宅までは通常30分もかからないのですが、1本しかない国道はすでに渋滞し始め、雪も10cmは越え始めてていました。
まだまだ積もりそうな様子だったので、県境の近くから抜け道を行ってみることにしました。
ところが、同じことを考えた地元の車がすでに何台も道の両側に脱輪して、JAFの応援を待っているということでした。


その近くの家の人が、大雪の中、私たちのように迂回路を求めて入って来た車を引き返させようと外に出て誘導してくださっていたのでした、
なんと有り難いことと感謝しながら、県境の村まで戻りました。


そこで、このまま国道の渋滞の中、何時間もかけて帰るか、それともその県境の村に泊まるかの選択となりました。
私は翌日も休みだったので、無理に雪道を高齢の母の運転で行くよりは泊まった方が安全そうと思いましたが、母は帰ることを選択しました。


国道は渋滞しているけれど、徐行はしているので道路に雪が少ないこと、おそらくあと2時間ほどで雪は止むだろうという母の判断でした。
そして母は「トイレに行こう」と、県境の村で昔から知っているお店に立寄り、トイレを借りました。


まだその頃は雪がどんどんと降り積もっていましたし、本当に大丈夫なのだろうかと母の判断を疑いつつ、まあ立ち往生したらそれはその時だと、国道の渋滞の列に入りました。
歩いた方が断然速そうな速度で、ここで凍死するのかと最悪のことばかりが頭に浮かびました。


前の車のテールランプしか見る物がない灰色の世界をノロノロと進むのは、冬は雪が多い地域で育った私もあまり経験がないことでした。
朝からの春の陽気は幻だったのだろうか、つい2〜3時間前までは桃の花と菜の花を楽しんでいたのは夢だったのだろうかと思うような天候の変化が、余計に不安にさせます。


車の中では、楽しい話題を話しながら気を紛らわせていました。
認知症の父も、特に不安が強くなることがなかったことも幸いでした。


ふだん30分もかからない道が、結局、4時間以上かかりました。
そして母の判断どおり途中から雪は止み、夜空に星が見えるまで天候が回復しました。
市街地に出ると雪は少なく、あの県境あたりだけ集中的な雪が降ったようです。


母の冷静な判断のおかげで、私もその日のうちに都内に戻りました。


朝からの春のような陽気と一転して大雪になった一日が、まるで何十時間もの長さだったような感覚に陥りながら、帰りの電車ではぐったりと座り込んだのでした。



一番の疲労感は、あの雪道での立ち往生で凍死という恐怖を実感したことでした。




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