イメージのあれこれ 12 <除雪とは何か>

毎年、大雪による雪害のニュースを耳にしているのですが、今年はなぜか福井の大雪のその後の経過が気になっています。おそらく1500台の車が2日間も立ち往生したことから記憶が甦って人ごとに感じられなかったのだろうと思います。


雪国ほどではないけれど、年に何回かは20〜30cm以上の雪が降った地域に子どもの頃に住んでいたので、雪が積もった状況での生活は多少の記憶があります。
豪雪地帯の生活については、「雪に慣れた人たちがなんとか対応している」というイメージのままでした。
実際に大雪が降ると生活はどうなるのか、復旧までどのような問題が起こるのかについてはほとんど知らなかったと、今回の情報を追いながら考えさせられました。


<「除雪」の意味もよくわかっていなかった>


両親がまだ自宅で生活していた頃も、年に数回は積雪がありました。
両親とは離れて生活をしていたので、高齢の二人が無理して雪かきをして「転落」とか「骨折」といった不安がよぎって電話すると、「大丈夫。もう市の除雪車が家の前を雪かきしてくれたから」「玄関までは、訪問サービスの人たちがしてくれた」と聞いて、ほっとしたものでした。
私が小学生の頃は雪かきは自分たちでするしかなかったし、除雪車は国道ぐらいでしか見たことがなかったので、しばらく通学路も道路は質の悪い天然スケート場のような様相でした。


それでも、数十センチぐらいの雪であれば、道路の端に寄せておけばなんとか対応できます。
「除雪」というのは、私にとっては「雪かき」のことでしかありませんでした。


今回の福井の大雪いえ、豪雪の情報の中でとても参考になったのが「福井30豪雪や除雪業務に関するまとめ」です。
その岩迫さんという方のtwitterを読ませていただいて、豪雪地帯の「除雪」というのは、「圧雪」「排雪」までを含むことや、それに従事されている方々の現実の状況が具体的に書かれていました。


知りたかったのは話題作りではなく、社会の全体が見える情報であり、イメージでしかとらえていなかったことが現実にはどうなのかということでした。


この方の2014年と2016年の「除雪」に関するつぶやきを忘備録として残しておこうと思い立ちました。

ちなみに「除雪」は文字通り、「(都市機能を維持する主要な道路を確保するため)雪を除く」だけなので「朝起きたらうちの玄関が除雪車が除けた雪で埋まっている!と怒っても仕方ない。そこは住民の自助努力で搔き出すしか。一方「排雪」は「ダンプで雪を運び出す」作業。除雪よりコストも相当かかる。

市道の確保なんていいから、うちの店の駐車場、朝の開店までに綺麗に除雪してくれ!金は市役所の3倍払う」という契約違反を起こさせないためにも、ある程度土建屋さんを満足させる契約は確保しておかないとなあ。それは雪国が宿命的に抱えるコストだよなあ。

除雪車運転しているオペレーターの方が、真っ暗闇でシンシンと雪が降る中、夜通し除雪車乗ってると、あの黄色い回転灯の光が目に焼き付いてハーレーションを起こして気が変になりそうになる。お酒の力借りて眠るっていってたなあ。ご苦労様です。

雪国の行政が行う「除雪」は文字通り「(路線を確保しインフラとして機能させるため、主要な路線だけでも車が通れるように)雪を除ける」だけの行政サービスを言うので、「除雪車が通ったせいで家の前に雪の固まりが!」って役所に苦情を言ってもクレーマーをなだめる扱いされて終わりなのですよ。

市で公表されている除雪費用を出勤回数で割ると一回何千万円とか動いていてビックリする。「溶ければ水になってしまう物」をどかすのに何千万円か。あらためて凄いな。

市の年間除雪予算が5億円として「除雪費用5億円」を投入しなかった場合と「市内のお店や会社が業務停止になった場合の税収の落ち込みと学校が休校したり、火事や急病が出た場合のリスクの合計損失額」を天秤にかけて「やがて溶ける水にお金を注ぎ込む」方が効率的だから投入されてるん...ですよ...ね?

でも今後は少子化人口減で税収が減ってくると、そんな手厚い除雪も出来なくなって「自治会で2/3負担できない町内は除雪しません」とかになってくるのかもなあ。我が福井市では合併とか郊外の住宅団地開発とかで年々除雪路線増えるけど、(一見サービス向上に見えるけど)大丈夫なんかなあ?と思う。

市民も行政依存度が高くなって、雪掻きしないで「なんで除雪車出ないんだ!」とか言い出す人も増えそうだなあ。あと反対に、「この程度の雪で出すな!税金の無駄だ!」の人もいるだろうなあ。まあこれも行政の人件費は削減され続けてるんでやがて「自分でやって!ガチャ!」という時代がくるのかも。

「(除雪車出動がタイミング合わなくて車に踏み締められて)圧雪状態になった雪を除雪車が除けていった後にできる雪の塊(これに名前をつけてもいいと思う。「圧雪塊」とか)」が重くて溶けにくくて、歩きにくくてタチが悪いんだよなあ。

暖かいスタジオから東京のアナウンサーから「除雪作業は、無理をせず、二人以上で」と言われても「無理しないと重さで家が潰れるし、二人以上ってこの集落ではほとんど一人暮らしだ!」みたいに思われる方もいらっしゃるでしょうが、くれぐれもお気をつけて。お互い雪掻き作業に励みましょう。

福井でも知らない人いるけれど「除雪」は文字通り「雪を(主要道路が使える様)除けるだけ」の行政サービスなので「除雪した所為でウチの前に雪が!車庫から車出せんやんけ」と市役所に苦情言うのは、丸亀製麺で「なぜ注文を取りに来ない!」と激昂しているような物なので、早起き雪掻きで対応しましょう。

「除雪」では除雪車が雪を除けて行くので道路脇には除雪帯が出来る。これを朝早起きして、家の横に(隣家に迷惑かけないように)避けて(決してまた道路に戻してはならない)玄関と車の出入り口を確保する。のは雪国の常識だとおもってたんだけど、最近はそれすらせずに即クレームを入れる人がいるらしい。

除雪車バケットに溜まった雪を交差点などの結節点に積む。これが雪山。交差点の視界は最悪になるし、歩行者には山脈越えを強いることになるけど、これが雪国のさだめ。ちなみに「空き地や水田などを雪山として提供した地主」には「固定資産税優遇」や助成金制度もあるらしい。

で、「除雪」で対応できないくらい一晩で降ったり、何日も降り続いた場合にはどうするか?というと、ダンプなどで雪山の雪を、海や河原などの公設雪捨て場に捨てに行く「排雪」という行政サービスの出番になります。

でも、排雪は通常の除雪車借り上げオペレーター+先導車+運転手に加えて、ダンプ借り上げ+運転手の費用がかかるので(おそらくその前の晩の「待機拘束費用」も出している)行政はなるべく排雪をしなくない。特に冬の前半は予算温存のためか渋る。

これら行政が払う莫大な除雪費用は、当然雪の降らない地域の自治体には必要のない経費なので、その分、除雪しない自治体は税金安いのかな?それとも別の行政サービスに置き換わっているのか?

「除雪業者の待機拘束時間にも税金払うなんて!」って言っても、ショッピングモールやパチンコ屋さんから「ウチは倍払うからウチの駐車場ゆうせんしてくれ」言われて業者がなびくと、交通マヒしますからね。ただでさえ公共事業が減り、入札厳しくなって中小土建業倒産で減っているのに。

だから、いくら税金かかっても中小土建業のオペレーターさんにとって行政との除雪契約額は「ギリギリオイシイ存在」でなくてはならない。そうやって中小土建業が除雪と言う名の公共事業で食い繫ぎ、夜通し働いて、お金もらって飲みにいく。地元経済が回る。

ただでさえ少ない税収を除雪に割かざるを得ない北陸の幸福度や各種住み良さ指数が高いのは案外そんな事も関係しているのかも。

夜通し動く除雪車のうなるデイーゼルとタイヤに巻いたチェーンのキュラキュラという音。カーテンから漏れる黄色いパトランプの光。インフラを支える人たちに感謝しつつ、早めに寝る。そして早起きして雪掻き。それが「雪国育ち」という人格を作っていくのだと思う。

「除雪」と言う言葉ひとつをとっても、社会の現象を観察し、全体像をできるだけ正確に把握することこそ現実の問題解決のための一歩なのだと、この方のつぶやきを読んで思いました。


1990年代初頭、「無駄な公共事業はなくせ!」と本当は現場のことを何も知らなかったのに運動に加担した自分を、反省してもしきれないほどの失敗だったと、この方のつぶやきを読んでまた冷や汗が噴き出しています。
社会の現実の問題は、事実の観察の積み重ねから解決方法が産み出されてくるのであって、イメージに囚われた正論からでは決してない。
あの頃の自分に叱りたい気持ちです。




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