こちらの記事に書いたように、母のところへ行く時にはちょっと山の中を通ります。
そこは県境にあたるのですが、川が流れていてちょっとした渓谷があるので、高校生の頃から好きな場所です。
この10年ほど頻繁に両親が住んでいる場所を往復しながらこの川の流れを見ていたら、私は大きな勘違いをしていたことに気づきました。
県境には山がありますから、分水嶺はそこだと思っていたのです。
で、山間部を過ぎると私が一時期住んでいた県に入り、水は別の方向に流れて違う川になるのだと。
ところが、その川は実は私が住んでいた地域から流れて、山間部を超えて他の県へと流れていました。
必ずしも、山があるとそこできれいに水の流れが分かれるわけではないのですね。
*実は分水嶺の近くに住んでいた*
母が暮らしている施設は市街地より高い場所にあります。駅からタクシーで往復すると5000円以上かかるので、帰りは1時間半ぐらいかけて歩くこともあります。
市街地中心部へ向かって緩やかな棚田のように水田地帯があり、たくさんの用水路があり、冬でも水がたくさん流れていていやされる場所でもあります。
その用水路や小さな川の流れは、ある場所からはあの車窓から見える川へ流れ込み、ある場所からはもうひとつの川に流れ込んでそのまま県内の海へと流れていることがわかるようになりました。
地図を最大に拡大してみてみると、なんと私が高校生まで過ごした家がある場所あたりに分水嶺がありそうです。その家の横には小さな川があったのですが、県内の海へ流れているとずっと思っていたのですが、実はあの県境を超えて他県へと流れる川の支流でした。
そして、すぐ近くの別の川は、県内の海へと流れる川の支流になっています。
まさか、分水嶺の境界線上に住んでいたとは。
分水界の中の「平野部の分水界」には以下のように書かれています。
山岳部では稜線とほぼ一致するが、下流の平野部(特に大平野)では分水界が不鮮明である。これは増水するたびに河川が流路を変更するためである。このことは古代から近世にかけて、為政者にとって最大の悩みであった。 そのため古代の入植は、新田や耕作地の開発のし易さから山際近くで開始されている。そして近世になるにつれて、低地や川際へと開発が進んだ。
私が住んでいた場所は平野部ではなく、山間部でも平地が多いところでした。
いつ頃かはわからないのですが水田として開発され、その後、1960年代から70年代に水田は新興住宅地になりました。
水田ができた頃も、もしかすると大雨の時にはいつどこから水が流れてくるかわからないような場所だったのかもしれませんね。
あるいは流れ方一つで、豊かな大地にも、農業に向かない土地にもなるのですから、昔の人は常に分水嶺を意識せざるを得なかったのでしょうか。
分水嶺なんて考えることもなく暮らせるようになった。
小学生の頃に初めてその言葉を知って以来、気にもしなかった半世紀だったと改めて思いました。
分水嶺を求めてまた散歩の計画が増えそうです。
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