世界はひろいな 43 <新しい言語を「発見」>

1990年代に一時期暮らしたところは、イスラム教徒やキリスト教徒そして少数民族の人たちが混在する地域でした。
そして同じ宗教を持った人たちでも、いくつにも部族が分かれ、隣りの村でも通じないほどの異なる言語を使用していました。


同じ国の中でも言葉や文化あるいは価値観に多様性があることに驚かされるとともに、日本も同じであることを改めて思い返す機会になりました。


日本との大きな違いを感じたのは、言語の表記方法でした。


その国に初めて暮らしたのは1980年代半ばでしたが、100以上の部族と言語があったその国に公用語ができてからわずか数十年ほどで、しかもそれまでは文字で言葉を表現する方法がなかったということを知り驚きました。
その国の公用語は、首都がある地域の有力な部族の言葉が発展したものであり、植民地支配の中で欧米の言語の影響を受けながら変化し、そして文字になっていったのでした。


先日、マレーシアで「未知の言語」が見つかったというニュースがありましたが、私が暮らした地域の経験からもあり得ることだろうなという印象で受け止めたのでした。


GigaZiNEというサイトの「未知の言語『Jedek(ジェデク)』がマレーシアで見つかる」(2018年2月14日)についての記事を書き留めておきます。

マレー半島のある村で生活する約280人の原住民が、これまで未確認の「Jedek(ジェデク)」と呼ばれる言語を使っていることが明らかになりました。

アメリ言語学会によれば、世界には約7000種類近くの異なる言語が存在しています。しかし、この7000種類の言語に含まれない新しい言語「ジュデク」が、マレー半島の北部にある村で見つかりました。ジュデク語はスウエーデン・ルンド大学の研究者が進めていた「Tongues of the Semang(セマン族の言語)と呼ばれるプロジェクトの中で見つかりました。このプロジェクトは、マレー半島の山岳地帯で暮らす狩猟民族であるセマン族が試用するオーストロアジア語族に属する「Aslian(アスリアン)」と呼ばれる言語を文書化するためのものでした。

「Tongues of the Semang」とよばれるプロジェクトに参加していた研究者が、ある村で使われる「Jahai(ジャハイ)」語について研究していたところ、村で暮らす全員がジャハイ語を使っているわけではないことに気付いたそうです。研究者のひとりであるJoanne Yager氏は、「我々は村の大半がジャハイ語とは別の言語を話していることに気づきました。彼らはジャハイ語では使われない言語・音楽・文法構造を使っていたのです。使われていた言葉の中には、調査が行われていた村からは遠く離れた場所で使われているアスリアン語とのつながりが示唆されています」と語っています。
ここで発見されたのがジュデク語で、村で暮らす約280人がこの言語を使っていたそうです。なお、NPRによると、ジュデク語を使う人々はベルガウ川沿いで暮らしていた狩猟採集民の一部とのこと。

これまでも村で言語の研究を行った人類学者がいたそうですが、ジュデク語が記録されたのは今回が初めてのこと。過去にジュデク語が気付かれなかった理由は、「ジュデク語には正式な名称がないからかもしれない」だそうです。なお、この未知の言葉に「Jedek」と名付けたのは発見した研究者たちで、頻繁に使用される用語に基づきつづられたとのこと。

ジュデク語は窃盗や売買など所有権に関する言葉は持っていないものの、共有や交換に関しては複雑な語彙を持っています。これはジュデク語が話される村では、暴力や子ども同士での争いが推奨されておらず、法律・裁判・職業といった要素が存在しないからだそうです。

なお、ジュデク語は近年発見された唯一の言語というわけではありません。2013年にはインドのアルナーチャル・プラデーシュ州で800人が使用する「Koro(コロ)」と呼ばれる言語や、英語と別の地方の方言を組み合わせた「Light Werlpirt」という言葉を話していることが発見されています。


「窃盗や売買など所有権に関する言葉は持っていない」については、「土地は神のもの」という地域で暮らしていると実感としてわかるような気がします。
そうそう、その地域に海外援助でダムが建設されることになり、その川の流域をまわった時に「この地域では昔から水争いはなかった」と誇りを持って言われたのでした。


ありがとうおいしいという言葉がなくても、それは単純で未発達な社会というわけではないことを実感しましたから、今回のニュースを聞いて「やはり世界はひろいな」とちょっと感動したのでした。


ただし、「新しい言語を『発見』」という視線は、やはり先進国側から開発途上の社会を発見したというニュアンスが伝わって来て嫌だなという印象を持ちました。


発見したのではなく、観察と正確な知識に基づいて新たに言語が分類されたという表現のほうがふさわしいのではないかと感じました。




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