記録のあれこれ 12 <言語を文字で記録しない社会>

物心ついた頃には、言葉で話していることを文字にすることが当たり前の社会で育ちました。


ただ、1960年代ごろだとまだ身近な人にも「文字を書くことができない」人の存在は珍しくなくて、たとえば祖父からは年賀状がきましたが祖母が書いた字を見ることはありませんでした。明治終わりごろから大正初めの頃に生まれた祖父母の中には、小学校にさえ通ったことがなかった人も珍しくなかったことでしょう。


戦前に十分な初等教育を受けたことがなかった方々が、年齢を重ねるに従って字を覚えたいということが社会問題になって、1970年代や80年代には「文盲」「識字教育」という言葉をニュースで耳にしました。


80年代になって開発途上国に関心が出たことで、貧困や内戦状態から教育の機会を奪われている人たちに識字教育が必要であること、また経済的な搾取から身を守るために識字教育が必要であることを実感として感じました。


まだその頃は、「文盲」という否定的なイメージしかありませんでした。
ところが、90年代にイスラム教や少数民族の人たちの地域で暮らすことで、文字はなくても多様な言語があり、そして口述による記録方法があり、決して「盲」ではない何か違う世界なのだということを漠然と感じたのでした。


たとえば地図を使わない日常は決して地図が読めないということではなく、地図に描かなくても正確に境界線が頭の中で記憶されていたり、遠いところに住んでいる親戚や知人の人間関係も記憶していて、あるいは海や国境を越えて自由に船で行き来していたり、整然とした秩序のある社会がありました。
ジェデクの人たちのように。


こういう人たちを文盲と見なしたり、識字教育が必要と考えるのはひとつの価値観に過ぎないのかもしれないと、私の中での葛藤が増えたのでした。


コーラン


もうひとつ、文字で記憶しないことで印象深かったのが、イスラム教のコーランでした。


小さな集落でも、必ずと言ってよいほどハッジと呼ばれるメッカ巡礼を終えた人がいました。
Wikipediaではハッジはメッカ巡礼で、巡礼を終えた人はハージーと呼ぶようですが、その地域ではハッジが称号として使われていた記憶があります。)


その中にはコーランを諳(そら)んじることができる人もいました。
それまでイスラム教とは無縁だった私は、コーランアラビア語のものしかなく、しかも口述で暗記をしていることを知りました。
キリスト教の聖書のように、いろいろな言語に訳されて書物になったものはないということに驚きました。


私が初めてイスラム教徒の姿を見たのはこちらの記事に書いたように、1980年代半ば、バンコックでメッカ巡礼のトランジットで滞在している人たちでした。
そのあと帰国してからイスラムに関する本を探したのですが、当時はまだ少なくて、「コーラン」(井筒俊彦氏、1957年、岩波書店)を購入した記憶があります。


ところが、クルアーンの日本語訳にあるように、「アラビア語以外に写されたものは『解釈』にすぎないとみなされる」ことを、その地域に住んで初めて知りました。


多種多様な異言の壁を乗り越えて、様々な言語に聖書が翻訳されながら広がっていくキリスト教の伝道とは正反対にみえるようなイスラムの考え方がどこから来たのか、ずっと気になったままになっていたのですが、「クルアーンの成立と正典化」に、口伝えで伝承されていたコーランが書物になるまでのことが以下のように書かれていました。

まとめられる以前は、イスラーム共同体全体としての統一化した文字化が行われなかったため、次第に伝承者や地域によって内容に異同が生じたり、伝承者による恣意的な内容の変更や伝承過程での混乱が生じはじめて問題となっていった。


「文字化」しても、やはりその解釈に差が出たり、恣意的な内容の変更や伝承の混乱は起こるので、ひとつの言語による文字で記録することを良しとした、という感じでしょうか。


小さな村でコーランを諳んじている人に出会って、イスラム教の伝承方法に当時は驚いたのですが、最近になって、あの人たちは正確に記憶する能力を持っていたのではないかと思い返しています。


Wikipediaの「ハッジ」の説明の中に、「ハッジは、神への奉仕の表現であり、社会的な立場を獲得するという意味ではない」と書かれていますが、コーランを諳んじることができる能力を持つ人に対しても似たようなニュアンスをその村で感じました。


「聖職者」ではあるけれど、その意味は社会的地位ではなくその能力に対してであるかのような。



文字を使わずに記憶で記録していく社会には、文字を使うことを当たり前として生きてきた私には到底理解できない何かがあるのかもしれません。




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