行間を読む 139 「土人(ところのもの)」

根川貝殻橋の案内図に「土人(ところのもの)」とありました。「新撰武蔵風土記稿」に使われていた言葉のようです。

 

私には「どじん」としか読めなかったのに、こんな読み方があったのですね。

 

現代ではほとんど耳にすることがなくなった「土人(どじん)」ですが、これもまた1970年代から80年代にかけて子どもの頃には疑問も持たずに使っていた言葉が差別用語として問題視されるようになり、そして1980年代から90年代には先住民という表現が一般的になった変化の中で、「土人」は使ってはいけない言葉になっていったのではないかと思い返しています。

 

「どじん」でなく「ところのもの」という読み方は、いつ消えていったのでしょうか。

 

土人の意味は?*

 

weblio辞書を開くと「デジタル大辞泉」も「精選版 日本国語大辞泉」でも、最初は「その土地で生まれ育った人、土着の人、土地の人」とありました。

 

ところが、2番目の意味として前者では「未開地域の原始的な生活をしている住民を侮蔑していった語」、後者は「特に、原始的生活をしている土着の人々をいった語」とあり、読み方によっては「侮蔑」という気持ちの問題が感じられる意味になっています。

 

Wikipedia土人の説明には、もう少し詳しいことが書かれていました。

土人(どじん)とは、律令制度の「本貫地に居住している人(土人)」。「其の地に生まれ住む人。土地の人。「原住民、現地人」、現代では「原始的生活をする、土着の人種」、「土人形土偶」「未開地域の原始的な生活をしている住民を侮蔑していった語」を第2義とする辞書もある。

 

「本貫地に居住」というのは、現代の「本籍地」ぐらいの感じではないかと思うのですが、なぜこれが、いつ頃、「侮蔑」を含む言葉に変化したのでしょう。

 

Wikipediaの「近現代」にある、アイヌ民族を「旧土人」と呼び、あるいはあの南洋幻想と対になった植民地時代のあたりの変化。そのあたりが70年代ごろから問題視されていたので、私の中でも「土人」は使ってはいけない言葉になりました。

 

*違う見方もあった*

 

Wikipediaの「用例」に、昭和初期の日本の社会の中での「土人」のイメージへの反論が書かれていました。

土人と言へば野蛮人、人喰い人種、人間が獣か見分けのつかぬやうな蕃人かのやうに、日本人は想像して居るが、これは大変な感違ひである。之は土人と云ふ文字の錯覚から生じてゐるるのである。種々の間違ひや誤解は此幻覚から発生して居るものが尠くない。畢竟日本人の海外知識が餘り浅薄すぎるからである。土人と云ふは、其の土地の先住民、土着民と言ふだけのことで、決して野蛮人とか、人喰い人種とかの義ではない。

 ー竹井十郎、日本人の新発展地南洋、1929年(昭和4年

 

現代でも耳が痛いですね。ちなみに「畢竟」は「ひっきょう」と読むらしく、これもまた初めて知る言葉でした。

 

「新撰武蔵国風土記稿」が書かれたのが1828年(文政11)で、その40年後が明治維新です。

おそらく、社会の何もかもが驚異的に変化する時代でしたから、言葉の意味も大きく変わってしまったのでしょうか。

 

 

ただ、「ところのもの」という読み方だったら、もしかしたらここまで感情が二分するような言葉にならなかったのではないかと妄想しています。

 

ボブ・ディラン「言葉は10年後には違う意味になる」を思い出しました。

そして、一度、ある感情がこめられてしまった言葉は、もう元には戻せないのかもしれませんね。

 

 

 

「行間を読む」まとめはこちら