存在する 14 <自分の存在を認めてもらいたい>

タッチパネルのレジで清算してくれた母と同年代の女性を見て、高齢者といっても本当に人それぞれの状況があるのだろうと感じました。


「機械についていけるかどうか」
これは自宅のパソコンやスマホの買い替えのたびに、自分の現実問題になってきたような気がしますが、今のところなんとかなっています。
ただ、新たな機能が開発されると、「それは私の生活に必要なのか」「必要がないけれど世の中についていったほうがよいのか」あたりの気持ちの揺れがあります。
結局、しばらく様子見で対応していると必要な機能に対しては使えるようになるし、話題性だけのものはスルーしていくのが負担がなくてよいというところに落ち着きます。


ただ、機械に限らず仕事でもそうですが、「めんどくさいから人にお願いしよう」という気持ちがでると、ちょっと危険信号なのかもしれません。
それは高齢者だからというよりも、若い世代のスタッフをみていてもたまに感じます。
あるいは、駅などでも今はたくさんわかりやすい表示があるので、ほんのちょっとその表示を見て確認すれば済みそうなのに、出発のための安全確認をしている車掌さんに話しかけて答えを得ようとする人も似たような印象を受けます。



もちろん、自分が出来る範囲をきちんと判断して他の人に頼ることも必要だけれど、それともちょっと違う「めんどくさい」気持ちがなんとなく伝わってくることがあります。


高齢になって機械を使いこなせなくなる理由のひとつに、その人がもともと「めんどくさい」「人にやってもらえばいいか」「すぐに人に聞けばいいか」と対処して来た積み重ねも関係しているかもしれないと思うのですが、事実はどうでしょうか。


<自分の存在の確認>


さて、昨日の記事のきっかけになったAERAdotの「スーパーの自動支払機はお年寄りに残酷すぎる」の中で、こんなことが書かれています。

買物とは、世の中とつながる大切な営みです。家から外へ出て、自然の空気を感じながらてくてく歩き、店でいろんな商品を見て、欲しいものを吟味して選び、店の人にお金を払って商品を受け取る。その何気ない一連のことが、どれほど人のつながりを健康に役立っていることか。


この一文を読んで、なにも「買物」にそんな大仰な定義を作らなくてもと思いながら、ちょっと母のことを思い出しました。
母にとっては「買物」だけでなく、「銀行や郵貯に行く」と入れ替えてもあてはまっていたかもしれません。


母は50代半ばにして運転免許を取り、寒冷地の雪道も走りこなし、そして父が認知症になって一度だけ行方がわからなくなった時に、当時まだ珍しかった携帯のGPS機能を勧めてみたところ70代にして使いこなせるようになりました。
また、自宅がエコキュートになっていたり、テレビがデジタル放送になるとリモコンをさくさくと操作していて、実家に帰るたびに、私よりよっぽど新しいものを取り入れるのが早いと驚かされました。


ところがその母が2011年に倒れたときに、母の意外な一面がわかりました。
銀行のキャッシュカードを、一度もといって良いほど使ったことがなかったのです。


キャッシュカードそのものがどこにいったかわからず、銀行の窓口に連れて行ける状態でない両親でしたから、しばらくは両親の口座のお金を引き出すことさえできなかったのでした。
「ああ、キャッシュカードさえあればなんとかできたのに」と、つい愚痴をこぼしてしまったのですが、母は現金の出し入れも送金も、すべて機械ではなく窓口でしていたのでした。


しばらくしてなんとか歩けるまでに回復し、当時お世話になっていた施設の近くに口座を作り、キャッシュカードを新たに作りました。
これで、母も私たちに気兼ねをしないでお金の出し入れをしやすくなるだろうと思ったのですが、それからも頑としてキャッシュカードは使わず、用紙を記入し窓口で対応してもらっていました。


何度か母に同行して窓口での様子を見ているうちに、理解しました。
母は「自分の話を聞いてもらいたい」のだと。
銀行だけでなく、食事に行ってもスタッフに対して延々と自分の話が始まりそうになります。
一見、スタッフに「親切にしてくださってありがとう」という言い方でも、相手への関心というよりは、自分のことを話したくなるようです。


スタッフの方のちょっと困惑しつつ高齢者だから丁寧に対応してあげたいという様子に、こちらはお仕事を滞らせて申し訳ないと思ってしまいます。


母を見ていても「機械に疎い高齢者」とはいえず、キャッシュカードだけを使わなかったことにも本人にしかわからない気持ちの問題があることでしょう。
ただ、ひとつ言えるのは、キャッシュカードが一般に広がったのは母がまだ40代の頃からだったということです。



そういえば母が20代とか30代の頃にも、買物に行くとお店の人と立ち話が始まって退屈だったなあ。
世間話だけでなく、子どものこともお店の人に自慢話が始まるので居心地が悪く、「早く帰ろう」と何度、母の手をひっぱったことか。


キャッシュカードを使わないでいたことと、その記憶がつながりました。




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