イメージのあれこれ 17 <「人を幸せにする」ための商売>

先日の「スーパーの自動支払い機はお年寄りに残酷すぎる」の記事から考えた話が続きます。


その最後の文章が、最近、私が考えていたことと正反対だなあと感じました。

買物とは、世の中とつながる大切な営みです。家から外へ出て、自然の空気を感じながらてくてく歩き、店でいろんな商品を見て、欲しいものを吟味して運び、店の人にお金を払って商品を受け取る。その何気ない一連のことが、どれほど人のつながりと健康に役立っていることか。


そう考えたら、ものを売る人の責任は少なくないものがある。


効率化も大事ですが、なくしてはいけないものもあるのではないでしょうか。誰のために商品を売るのか。それは究極のところ人の幸せのためなのだと思います。もし客を不幸にする効率化ならば、それを本末転倒という。

どの点が私の考えと反対なのかを書く前に、こちらの記事に書いたように、1990年代、こういう物言いが「病院のお産は不自然。温かくない」といった風潮を加速させたのだと重なって見えました。


当事者それぞれの状況の詳細も理解できず、自分の理想のためには現実の複雑さを単純に正論化させる、とでもいうのでしょうか。
そして、まるで一方が悪のように語る。
さらに、世の中はそういう独善的な物言いを好む。



<「自然を感じててくてく歩く」能力が衰えたら>



両親が住んでいた地域は坂道が多く、最も近いスーパーが私の足でも徒歩20分はかかりました。
1時間に1本あるかないかのバスを利用して買物に行く人をたまに見かけますが、ほとんどの世代が車での移動です。


私が子どもの頃には少し離れた集落への移動販売がありましたが、いつからか見かけなくなりました。駅前の商店街はシャッター街になり、車でしか行けない場所にスーパーや日用品のお店が移転し、大型店舗化したお店での買物が当たり前になりました。


高齢になるにつれてむしろ重い荷物を負担なく運べるのは自家用車でしたから、高齢者も荷物を持って商店街を歩くよりも大型店舗でカートを押して、いろいろと商品を選択できるほうが助かる面が大きかったのでしょう。


でも、いつか両親が運転できなくなるのは現実問題です。うちの場合、それは母が心臓病になり手術が決まった時でした。
「運転は禁止」「お金は負担するからタクシーで」と言っても、スーパーへの一往復だけで数千円のタクシー代は高すぎますから、手術で入院するぎりぎりまで運転をしていたようです。


ただ、その2011年ごろはケアマネージャーさんがこうした高齢者世帯をいろいろとサポートしてくれる時代になり、また生き残った商店街でも高齢者向けの宅配をしてくれるところがでてきて、活用させてもらいました。
高齢者向けのバランスを考えたお弁当やお惣菜は助かったようですし、中にはゴミや不要品の回収も一緒に受けてくれるところもありました。


「自然の空気を感じててくてく歩き」買物に行くのは、都市部など限られているのではないかと思います。


その都市部でさえ、たとえば都内でも散歩をしていると、地形そのものの高低差がかなりあり、さらに歩行者がゆっくり歩くには狭すぎたりバリアフリーでない歩道に、私自身、これから足腰が弱ったら買物は大変だと痛感しています。
海や川沿いの比較的平坦な地域なら歩きやすそうですが、実際に簡単ではないことを散歩をして初めて実感しました。
歩けないほどの川風が吹いたり、川や運河にかかる橋は道路から2〜3mは高いアーチを描いて建設されていることが多いのです。
対岸が見えないほどの高低差が橋についているので、高齢者はどうやってこの橋を渡るのだろうと驚いています。


都市部なら歩けばすぐにコンビニもスーパーもあるのですが、案外、その高低差や車や自転車の合間を歩いて買物に行くのは大変で、「自然の空気を感じててくてく歩き」なんて悠長なことも言っていられなさそうです。



<日常生活の自立を維持するために>


近くのスーパーでは、電話で注文して宅配するサービスを取り入れています。
最近では、お惣菜も一人分のパックが増えたし、その塩分量や栄養成分が明記されているので、治療を受けている方も助かることでしょう。


以前だったら、自宅から自分の足で出られなくなったら社会とのつながりがなくなってしまっていたものが、今ではものを売る方々たちの努力や試行錯誤もあって、買物を諦めなくても済むようになってきたことが増えました。


「買物とは、世の中とつながる大切な営みです」
たしかにそうかもしれません。
ただしそれだけでなく、「日常生活を可能な限り自分の手で管理する」ことが満足感につながる状況が、高齢になるにつれて増えてくることでしょう。


手先の動きが不自由になってお財布からお金を出し入れするのにも時間がかかるようになれば、適当にお金を入れても機械が代わりに清算してくれるのも、そのひとつになることもあると思います。


さらに、ベッドから起きれなくなっても、欲しい物や必要な物を自分で管理できる間は自分でしたい。
その願いを叶えてくれるようになる。


母を見ながら、その次世代の買物を妄想していたところで、この記事を読んだのでした。
ということで、もう少し続きます。



「イメージのあれこれ」まとめはこちら
「スーパーの自動支払い機はお年寄りに残酷すぎる」について書いた記事のまとめはこちら