母乳育児という言葉を問い直す 28 <「人一倍授乳に熱心な人」が繰り返し出現する>

助産師になったばかりの1980年代終わり頃、私は「人一倍授乳に熱心な人」でした。
どちらかというと「吸わせれば出るのか」あたりに疑問があって、でもどこにもその答えがなくて、「マッサージをすれば出る」「ミルクを足さなければ出る」といった話しか信じるものが見つからない時代でした。


そこで、それならば自分自身の目で確認しようと、退院後のフォロー(4回連続の記事です)を始めたのでした。
その結果、吸わせれば出るわけではないし、吸わせなくても出ることもあるし、何より赤ちゃんがミルクを必要なこともあるという当たり前の結論に到達するまで、数年の遠回りをしました。


そして少しずつ新生児の生活史のようなものが見え、生後2〜3週間は「胎外生活への適応の時期」であり、とても繊細な時期で、ただ飲ませれば体重が増えるわけでもなくただ吸わせれば飲むわけでもない、本当に判断が難しい時期だと痛感しています。
新生児にはなぜこのような時期があり、何を準備して過ごしているのだろうと、まだまだわからないことだらけです。


また、新生児の生活史だけでなく、初産婦さんと経産婦さんの違いとその生活史の違いも見えてきたので、退院までの時間を授乳だけに必死にさせるのではなく、これからの生活の見通しがつかめると良いかもしれないというあたりまで、わたし自身のケアの方法が変化しました。


ところが、20代、30代のスタッフを見ていると、この「人一倍授乳に熱心な人」が一定数、出現するのだということが見えてきました。
しかも20数年前の私が、新生児のことが何もわからなかった為に「きっと答はそれに違いない」と信じそうになったものが、また繰り返されているのです。
例えば、舌小帯とか人類は哺乳類だから母乳で育てられるはず。うまくいかないのは○○のせいといったことを信じてしまうのですね。


あるいは、どれだけ母乳を飲んだか一回の母乳量測定(母測)をさせるスタッフがまた最近、増えてきた印象です。
新生児をずっと観察していれば、最初のあたりはくちゅくちゅだけしてほとんど母乳を引き出す飲み方が起きないことがわかるはずなのに。
「飲んでいない」ではなく、ではその時に新生児は何をしているのかという疑問も持たずに、相変わらず「飲ませる」ことにスタッフ側が必死になっている感じです。



そして「母乳のことで頭がいっぱい」のスタッフは、目の前の新生児のことも見えないし、お母さんたちの表情も見えていない。
ひたすら授乳のことをアドバイスして、追い込んでしまうことも見えていない。


新生児のことをわかったつもりになってよくわかっていないから、一番目にみえやすい「授乳」がケアの中心になってしまうのでしょう。



こうして、「人一倍授乳に熱心な人」が繰り返し出現していくのかもしれません。



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