仕事とは何か  6 <日常を支えるのに非日常の連続>

玉川上水沿いに笹塚周辺を歩いた時に、東京消防庁の消防学校がありました。


今年の8月ですから、35度近い日のお散歩でした。
その建物が見える前から、遠くから訓練をしている声が聞こえて来ました。
こんな暑さの中での訓練をされているなんて、それこそ熱中症になりそうです。こちらの頭もぼっとしながらの散歩でしたから、しばらくしてハッと気づきました。
「今日は日曜日!」だと。


今までの半世紀ちょっとの人生の中で、直接、消防隊にお世話になったことは一度ですが、救急隊は仕事では母体搬送や新生児搬送で何度となくありますし、私的にも父の熱中症の搬送と母もなんだかんだで80代になってから3回ほど救急車のお世話になりました。


消防署職員の方の仕事を伝えるテレビ番組があると録画をして観ていましたが、学生としてどのような訓練を受けるのかについては知らないままでした。


その学校の周辺では、あきらかに消防学校の学生だろうという方々が歩いていました。
白いワイシャツにズボンのいでたちなのですぐにわかりました。買い物帰りのようですが、休日といえども私服になることはないようです。
そして、学生の一部は休日にも訓練があるのでしょうか。
常に緊急時に対応するための心構えのようなものが、こうして養われていくのかと想像してみたのですが、どのような教育が行われ、この仕事を選ぶ人たちはどんな思いがあるのだろうと、案外、身近な存在なのに何も知らなかったと消防学校の横を散歩したのでした。


<非日常の連続が仕事であるということ>


消防隊や救急隊を呼ぶという緊急事態を、一生体験しないで済む人も中にはいるかもしれません。
そういう緊急事態というのは、普通の生活の中では非日常の状況です。


医療機関もまた、病気や妊娠といったいつでも悪化したり何か急変する可能性がある人たちが来る場所なので、仕事自体が非日常に対応するものです。
比較的穏やかな日でも一本の緊急の電話で修羅場に変わることが時々ありますから、電話が怖いです。
普通に暮らしていれば、病院にかかることも非日常だという感覚ではないかと思いますが、さらに生命の危険性のある超緊急事態へと一変するという非日常の連続が仕事なのだと改めて思うこの頃です。


その点で、警察とか消防にかかってくる電話は「事件か事故か」「火災か急病人か」という切羽詰まった内容がほとんどなので、医療機関よりもさらに非日常への対応ではないかと思います。
かけている相手も動揺しているでしょうから、落ち着かせて状況を確認するだけでも大変なことでしょう。
想定外の状況を正確に把握し、とっさに判断が求められ対応しなければならないことも多いのではないかと思います。


仕事の時間内のこうした緊急時の対応だけでなく、休日でも必要があれば出動する気持ちを切らさないようにすることもこうした仕事には求められていることでしょう。


そういう方々に日常の生活が支えられているということが見えるのが、災害などの非日常の時なのかもしれません。


私も今まで、自分の心臓が口から飛び出そうな緊張の修羅場医療機関で何度か経験して来ましたが、動揺されているご家族から感情的な言葉が来ることも理解できるので、そういうことは耐えられます。
感謝されたいという気持ちも、こういう緊急時は不思議とありません。


切ないのは、「プロなんだから、仕事なんだから当たり前でしょ」という視線を感じる時でしょうか。
反対に災害をきっかけに、「非日常に対応している仕事」に気づいて感謝の声を言葉にしてくださる方をみると、世の中には理解してくださる人もいるのだと安堵します。
感謝を求めているというよりは、それぞれの専門性が可視化されることが心強い、そんなあたりかもしれません。




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