災害時の液状乳児用ミルクについて考えたこと

昨年の東日本大震災でもそうでしたが、最近では大きな自然災害があると災害派遣医療チーム(DMAT)が災害発生直後には現地に派遣されるし、各地からたくさんのボランティアの方々が支援に集まってくる様子に、30年前とは隔世の感があります。


私が海外医療援助に関心を持ったきっかけは、30年前に出会った犬養道子さんの本でした。
5.15事件で暗殺された犬養毅首相の孫で、その著書の中には暗殺の直前まで祖父の側にいたこともかかれています。
その後、聖書の研究を通して彼女は世界中の難民救援活動に関心をもち、ボランティアとは何か、援助とは何か、呼びかけ続けてこられたお一人でした。


1970年代、インドシナ半島ベトナムカンボジアラオスからは戦火を逃れ、あるいは独裁政権の抑圧的な状況から逃れるためにたくさんの難民が国外へと脱出しました。


世界中から若者が自主的に難民キャンプに集まり、自分にその時できることをやって引き上げ、また次の友人に活動をつなげて行く。
あるいは現地に直接向かうだけでなく、難民の人たちを受け容れた国側で難民の人たちが一日も早く定住先の住民として落ち着いた生活ができるように、自主的に支援活動が積み重ねられていました。


片やその頃の日本の社会といえば、インドシナ難民は対岸の火でしかなく、諸外国からの圧力でしぶしぶインドシナ難民をほんの少しだけ、しかも刑務所と同じように自由がない収容所に受け容れました。


そして中には日本でも難民の人たちを支援しようと行動をした人たちもいました。
ところが、現地への救援物資として送られたものはといえば、古着や千羽鶴でした。
しかも熱帯の国々で使うものなのに冬物の古着であったり、中には着古した下着もあったそうです。


犬養道子さんは、当時の著書の中でこの現地のニーズを何も考えない自己満足の援助を厳しく批判していました。


着の身着のままで命からがらで逃げてきた人に、千羽鶴は何の役にたつだろうか。その送料を現金で送ってくれたほうが人を助けられる、と。
難民だから古着でよいのだろうか。家財道具一切持たずに逃げてきた人たちだからこそ、新しい生活のために新しいものを送ってあげればよいではないか、あなたが少し贅沢を控えればよいのだから、と。


善意の支援に対して批判するというのは大変勇気のいることです。


でも犬養道子さんは戦争や災害から逃れ生命の危機にさえある人たちにまっすぐ視線を向け、本当に必要なことはなにか社会に厳しく問い続けました。


<液体乳児用ミルクを送ろうと立ち上がった方たち>


フィンランドから、アメリカやカナダから、イギリスからと東日本大震災の被災地に向けて液状乳児用ミルクを送ろうと、法律やさまざまな問題を乗り越えて行動に移した方々のことを、私は本当にすばらしいと思いました。


産科に勤めていて、被災地での授乳はどんなに大変だろうと心を痛めていましたが、私はなにひとつ行動に移せませんでした。
まして液状乳児用ミルクなんて思いつきませんでした。


特に感動したのは、次の文でした。

被災地では、ほ乳ビンの消毒がままならず、紙コップを使ってミルクを"その3割をこぼしながら"飲ませていると聞きました。
お風呂に入ったり、汚れた洋服を洗濯したりすることもそう簡単ではないなかで、被災地のお母さんお父さん達がどれほどの苦労をされているのかと思うと、いてもたってもいられず、この消毒済み1回使い捨てほ乳ビンをおくる活動を始めました。
Japan Disaster Appeal for Babies

http://rudejam.blog108.fc2.com/?m&n0=83


避難所の映像はしょっちゅうテレビで観ていても、実際の具体的な大変さに思いを馳せることは難しいものです。


想像力を高めて自分で考えることも大事だと思います。
なによりも、当事者の声に耳を傾ける姿勢が大事ではないでしょうか。
「今、必要なのは何ですか」と。
たとえ自分が考えていた必要性と違っていても。


液状乳児用ミルクは、コストが高いこと、保存性があるといっても6ヶ月程度のようなので備蓄するには現実的な問題がいろいろと出てくると思います。
でも被災直後の混乱時には、それらのデメリットを上回るメリットがあると思っています。


*文末になりましたが、畝山智香子先生、液状乳児用ミルクの必要性の呼びかけをありがとうございました。
被災時の授乳中のお母さんや赤ちゃん達に必要なものは何か、たくさんの声を集めてよい方向に変っていけばと思います。




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