完全母乳という言葉を問い直す 7 <WHOの決議とその背景>追記あり

途上国での乳児死亡率の増加に単純な原因(多国籍企業の粉ミルク販売促進)と単純な解決策(母乳推進運動)を求め、多くの人たちが途上国の女性や子どもたちの実情もしらないままに、さまざまな思惑がうねりとなり大きな力となり国際機関を動かしていきました。


1981年、WHO(世界保健機関)の100以上のメンバー国は代表者はほんとんど男性だったにもかかわらず決議案に調印し、メンバー国内では乳児用食糧としての調整乳その他一切の広告、販売促進を禁止することに同意しました。


これは「母乳代替品のマーケティングに関する国際基準」で、「母乳代替品は宣伝してはならない」「母親に無料サンプルを配布してはならない」「保健施設を通して製品を売り込んではならない」などの基準が書かれています。


実際にこの基準ができたことで、批准していない日本でも病院内への乳業会社からの栄養士の派遣と病院内での粉ミルクの宣伝などへの歯止めをかけるきっかけになったと思っています。


私たちがお母さんに、時間毎の授乳ではなく自律授乳の方法を知ってもらい時間にこだわらずに授乳してよいことを入院中に相当の時間をかけて理解してもらったのに、「調乳指導」で派遣される栄養士さんが「授乳は5分ずつ。それ以上は足りないからミルクを」とお母さんたちに勝手に話していることもあったり、産科スタッフの中には積年の不満があることは確かです。


助産師が多い総合病院に勤務していた時には、妊娠・産褥期のお母さんたちへの栄養や調乳の説明も助産師か院内の栄養士がすればよかったのに、乳業会社からの派遣を切ろうとしない産科医や小児科医ともめることもありました。


今、小さなクリニックに勤務してからは、とても栄養や調乳に助産師の手がまわりきらない時に乳業会社の栄養士さんにお願いすることもあります。
ただし授乳方法には一切触れないこと、適切に調乳する方法だけを説明してくださいとルールを作って対応しています。


長年の産婦人科医・小児科医、時には助産師と乳業会社の持ちつ持たれつの関係があることは事実で、それは私たちも足元から見直す必要があるとは思いますが、それと「多国籍企業のミルク販売促進が本当に途上国の乳児死亡率を高めたのか」という問題は、区別して考える必要があると思います。


<背景にある母子擁護グループの行動>


1981年のWHOの母乳代替用品のマーケティングの基準が議決されるまでに、いくつかの関連した動きがありました。


1978年にはWHO総会で「加盟国は乳幼児の栄養不良をなくすために、母乳運動を促進し、粉ミルクの販売を規制する」提言、1979年にはWHO/UNICEFが「唯一の自然な育児方法は母乳によるものであり、すべての国はこの方法を積極的に奨励しなければならない、また母乳育児を後退させないためには、母乳代替品の販売に関する国際基準を設定する必要がある」という乳幼児の健康の改善についての提言が出されました。
(「小児内科 特集 母乳育児のすべて」p.1615の表より)



このような動きの背景を、ラファエル氏はかなり厳しい表現で批判しています。

こうした興味深い流れを背景として、アメリカやイギリスその他の母子擁護グループは強圧的な行動に出て、その結果、これまで母親がとってきた哺育方法が制限されることになりました。

病院では哺乳瓶廃止が試みられ、乳児用製品の輸出削減、乳児用調整乳広告の取り下げを行い、買い物に行けばミルクやその他母乳に代わるもの一切に近づくことを禁止し、生活保護家庭の母親の経済事業を母乳哺育の練習にあて、子どものためには母乳哺育をしなければならないと母親を説得する集まりを後援したり、実にいろいろな試みがなされました。


このWHOの決議のわずか20年ほど前のアメリカでは、ごく一部の小児科医が母乳のよさを説明してもミルクを選択する女性が多く、ラファエル氏の周囲でも母乳をあげる人が1人もいないような状況でした。


なぜ、これほどまでにアメリカの女性の中に「母乳哺育のエリートともいうべき人たち」(ラファエル氏、p.165)が現れて、一気に母乳推進運動を強圧的に進める力になったのでしょうか。


ラファエル氏は、母乳だけで母親が育てている社会として、「貧しいために自分の乳を飲ませるよりほかに手がなく、まわりには家族の経済的、社会的手助けがあるので楽にできる」という伝統社会と、西欧のエリート層をあげたうえで以下のように書いています。

西欧社会のエリートの間でなされる母乳哺育はもうひとつのパターンです。アメリカの豊かな中の上の階層の人々のことは私たちには周知のことなのでひとまずおくとして、おもしろいのはイギリスであろうと、ナイジェリア、ニューオリンズであろうと専門職に就いている女性には皆同じパターンが見られることです。

彼女たちには、母乳哺育をする時間のゆとりがあり、皆母乳で子どもを育てるのは価値があることで楽しい経験だと知っています。

他に方法があるのにわざわざ母乳哺育を選ぶのです。母乳哺育をするといい女、いい母親になれる気がするし、また母乳を通して一層母子の絆が強まると思うのです。

もし母乳哺育以外を選ばねばならない事態になれば彼女たちは加工乳を買えるし、子どももそれで十分に健康になれるのです。


ラファエル氏というのは、母乳で頑張っている母親になんとひどいことを言うのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、結論は急がずに、そして彼女自身が第一子の「母乳哺育に失敗」し、怒りと驚きをもって哺乳ビンを手にしたこと、それが母乳哺育のすばらしさを伝えるための活動の始まりだったことを思い出してください。


途上国の女性と子どもの状況を知らないままにあるいは自分の国内でも母親ひとりひとりが置かれた状況を知らずに、「自分たちができるのだから母乳だけで育てましょう」と母乳推進運動が広げられていくことに対して、その点に関してはラファエル氏はかなり厳しい表現を使っているようです。


それはもちろん医療従事者も向けられます。


<母乳ーミルク論争は母親の役にたったか>


1970年半ばから約10年間の母乳推進運動、「いわゆる母乳ーミルク論争」について、以下のように書いています。

今になってみると、いわゆる母乳ーミルク論争が母親たちのためにはたいして役立っていないこと、医療専門家の間ではなかなか自制心をもって対処できなかったことなど反省すべき点は多々あります。
医師たちは学会であるいは専門誌上で母乳がいいかミルクがいいかと議論している間、肝心の母親のことを忘れていました。また、政治家は人を集めて公聴会を開き、わざとスケープゴート(いけにえ)を探してはきたないやり方をしていると糾弾しました。
本来カウンセラーであり、患者の力になってあげるべき保健の専門家も論争を焚きつける側にまわり、人の訴えも聞かず、母親のことも忘れ、乳児のことばかり強調しました。そのうえ、飢えた人への食糧の分配もとどこおりがちで、しかもめったに調整乳の配給はなく、おおむね粉ミルクだけでした。生産者のせいで、製品が災難にあうことになったわけです。

(「調整乳」は離乳前の乳児用の粉ミルクという意味だと思われます)


ラファエル氏がこの文章を書いてから20年以上たった今、状況はもっとひどくなっていると日々実感します。




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