犬養道子さんについての記事のまとめ

祖父の用水路への関心から倉敷を訪れる計画をたてたのですが、私の人生に最もといってよいほど影響を受けた犬養道子さんの展示につながるとは思ってもいませんでした。


犬養木堂記念館に、犬養毅元首相の言葉がいくつか展示されていたのですが、印象に残ったのがこちらです。

山林自ら不朽の業あり
古今多く無し独行人

山林は元から非常にすぐれていて永遠に滅びない業がある
昔から今までに、自分の考え通りに行う孤高な人は多くない


戦争へと突き進んでいく中、アジアの国々の独立を支えることに力を注いだ犬養元首相を理解しようとした人は少なかったのかもしれません。支援していた人が離れ批判されるようになり、人の心の移ろいやすさを嘆いたようなことが書かれていました。


暗殺される直前に、犬養元首相が犬養道子さんにおくった「怨の額」も展示されていました。

その身になって他人を思いやることを大切にするように

犬養元首相の身辺が不穏になっていった時期に、遺言のようで不吉な印象を家族は感じたそうです。


たしか、5.15事件当日、犬養道子氏は同じ家にいて銃弾の音を聞いたことが著書に書かれていました。
当時12歳だった犬養道子氏は、どうやってその事実を受け止めていったのでしょうか。


犬養道子氏は1948年にアメリカに留学しましたが、そこで結核に倒れます。
治る見込みもないほどの状況の彼女を世話をしてくれたシスターとの出会いから、当時、結核の療養中の人たちを受け入れていたオランダの施設へと移り、本格的に聖書を学び始めたようです。
吉村昭氏や三浦綾子氏と同じく結核になったことから人生のリアリテイを突き詰めていったのかもしれません。


そして、1970年代、まだ日本の社会に難民という言葉さえ根付いていなかった時期にその問題を世の中に問いかけたのでした。
そして私財を投じて犬養道子基金を作りました。
私が彼女の著書に出会ったのが、1980年代初めの「みどりの木一本」の運動を始められた頃でした。


先日の「道チャンとおじいちゃま」の企画展で知りましたが、昨年96歳で亡くなられるまで過ごされた場所は、偶然にも私が一時期よく行き来したことがある地域でした。
あの犬養木堂記念館がある庭瀬と同じように、あちこちに豊かな清流がある街でした。



災害時の液状乳児用ミルク
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数字のあれこれ 45 <人間の距離感>
犬養木堂記念館
行間を読む 75 誰と出会うか、どんな言葉と出会うか
10年ひとむかし 43 言葉の半世紀
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