院内助産とは 13 <分娩数や助産師確保のため>

思い返せば私の助産師としての二十数年は、ちょうど出産場所のアメニティ(快適性)がどんどんと変化した時期に一致していました。


30年前に看護師になった頃の病院というのは、大病院でも大部屋が標準で、個室というのはよほどのVIPか急変や重症患者さんだけに使っていました。
当時冷房がある家自体が少ない時代でしたので、全館冷暖房完備という病院も少なく、消灯とともに病室の冷房は止まり患者さんたちは寝苦しい真夏の夜を過ごされていました。


その頃から日本はどんどんと経済的に豊かになり、病院も建て替えられていきました。
それまでの白とうす緑を基本とした色調からピンク色など暖色系が使われたり、絵画や生け花など、ホテル仕様の内装が取り入れられていきました。
自己負担と引き換えに個室も選択できるようになり、また食事の質も良くなりました。


健康保険診療が対象の病院でさえこのようにアメニティを重視し始めたのですから、自費診療が主になる産院では豪華な食事であったり、産後のエステがあったり、送迎車のサービスがあったり、それはそれは百花繚乱という印象でした。


病院や産院だけでなく、助産院もまたアメニティという面で大きく変化していました。
助産師学生で助産院に実習に行った頃は、まだ普通の民家という感じの助産院ばかりでした。
その後、ペンションか和風旅館かという建物や内装を取り入れ、食事も玄米菜食や独特の食事療法や代替療法を取り入れたりして、病院とは差別化を図っているように見えました。


もちろん、経済状態が良くなり人々の生活レベルが向上しているので、入院生活の快適性も求められるのは当然のことでもあります。
ただ、出産という非日常の場面のための演出とでもいうのでしょうか。
少しそちらに偏りすぎたのではないかとも、思えました。


21世紀になるまでは産科医療崩壊なんて夢にも考えてはいませんでしたし、産科だけでなく昔から地域に根付いていた総合病院や産院が経営困難になってなくなるとか、統廃合を余儀なくされるなんて考えてもいませんでした。


2000年に入って、私の住む地域でも産科のあった小規模の総合病院が療養型病床へと変り、高齢化社会へ向けて病床の再編が進み総合病院が減少していきました。
また赤字を抱える自治体経営の病院の統廃合が進められました。


そして2004年以降、産科医不足と看護師内診問題や医療訴訟のリスクのために休診や閉鎖される産院・病院が増えて、地域の周産期医療の再編の時代に入りました。


医療訴訟のリスクが増加している時代に院内助産で分娩を助産師に任せることは大きな矛盾を抱えているとは思うのですが、そうせざるを得ない面もあるのでしょうか。


前回紹介した済生会宇都宮病院産婦人科医長、飯田 俊彦氏の講演から参考になる部分を引用させていただこうと思います。


<周産期医療の戦国乱世を生き抜くために>


助産師による出産ー10年の試行錯誤」
第46回医療制度研究会講演より
平成20年2月2日
http://www.iryoseido.com/toukou/kaihou_200804.pdf
この小見出しは、講演の副題として使われています。


講演の冒頭の部分からの引用です。

今の産科医療は強いところは生き残って、弱いところは没落していく。従来あった厚生労働省とか大学の医局のような、全国を統括するシステムに変化がおき、地方の強い病院が残るものもあれば、活力を失ったところは潰れることを繰り返している。

「産科を取り巻く社会環境」では、次のように述べられています。

産科勤務医も助産師も足りないので獲得競争が激化し、条件が良いところがスタッフを獲得して、獲得しきれない所との格差が広がった。他にも格差は都市と地方、病院と開業医と二極化になりつつあり、ちょっとした差があると条件の良いところに人は移動してしまいます。そのほか産科医の訴訟が圧倒的に多く、福島の大野病院事件のようなことがあって慢性的なストレス状態、助産師のほうは内診問題があり需要も増えたのでますます足りなくなっています。
産科勤務医が少ない原因は、他の科が癌とか内視鏡手術とか専門家したのと同じように、不妊症その他各分野に分かれたため、その分労働需要が増大し、労働環境が悪化したからです。


そのような中で、済生会宇都宮病院がバースセンターを立ち上げた理由として、以下のように述べられています。

平成8年ごろ、お産は400、500位に低迷していたが、新病院に移転すると同時に分娩数は増え、またそれが頭打ちになり、平成の16年に母子医療センターを立ち上げ、今からお話するような対策をいくつか打ち出し、また分娩数が増えてきて、今は年間1200人くらいです。最初9名しかいなかった助産師も、現在は33名。医師もパートを含めて5名が9名に増えています。
そういった社会情勢の中で私たちが乱世、戦国乱世を生き抜くために選択した戦略は何か、積極的な助産師活用によって、医師から助産師への大幅な権限委譲でした。分娩方法を転換し、常識的な砕石位からアクティブバースへ転換しました。
砕石位というのは分娩台に乗って、ヒーフーとか、大きく3回息を吸って止めてという方法でした。助産師をリクルートし、助産師が正常分娩をすることによって、医師の労働条件を疾患分野へ移すことができた。腹腔鏡とか体外受精不妊症や、大きな癌の手術、救急にマンパワーを集中してきました。それによって、若い活力のある産婦人科医をリクルートすることが出来たと思います。


経営者側の大変さは、私の想像以上のものがあることと思います。


ただ「院内助産は切り札になるのか」という点で、次の3点が疑問に感じました。


一つは、分娩数が増える中で、たとえローリスク対象といっても助産師だけで分娩介助できるだけの経験量がある助産師を院内助産へまわすことは、実質的な助産師不足を引き起こすのではないかと思います。
年間1200件といえばかなり分娩の多い病院ですが、院内助産をとりいれなくても助産師33名というのは十分とはいえない人数ではないかと思います。


ふたつ目は、前回も書いたように「砕石位で怒責をかける」のは標準的ではないということ。分娩2期に自由な体位をとって自然な怒責を取り入れていない助産師のほうがすでに少ないのではないでしょうか?
また、怒責をかけなくても、あるいは自由な体位でも座位やどちらかの側臥位では胎児心拍が落ちることも分娩2期ではよく経験します。飯田氏の主張される「正常分娩の良性・悪性のサイクル」論で、院内助産の安全性が担保されるとは思えないのです。


3つ目は、助産師が就職先を選ぶ時に「院内助産」は本当に選択肢になり得るのでしょうか、と言う点です。
よほど自信をもった助産師か、助産所開設を夢見ているぐらい動機が強い助産師ではないかと思います。
そしてその自信も、本当に異常分娩を見極められる自信であるとすれば、それは分娩監視装置(CTG)の判読なしには不可能と言えると思いますので、基本的にCTGを使用しないことを「自然」ととらえる自信とは矛盾することにもなります。


どちらかといえば、まだ異常妊娠・分娩を含めて「経験不足」を自覚している助産師のほうが多い印象です。
自分の経験不足を自覚できるというのは、安全な分娩介助に最も必要なことではないでしょうか。
ですからそういう助産師をどうやって現場につなげ続けるか、のほうが実際の問題として日々感じています。



産科医の先生方の分娩に対するご自身の思いや、経営的な問題、そして助産師獲得の問題、なかなか複雑なところだと思います。


でもやはり「医師のいないところでの分娩介助」の機会を増やすことが、本当に母子のためになるのか、結論は急がないでいただきたいなと思います。





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