院内助産とは 16 <その責任は誰にあるのか>

前回の記事で平成18年(2006年)に日本看護協会から出された「病院・診療所における助産師の働き方」という資料を紹介しました。
http://www.nurse.or.jp/nursing/professional/jyosanshi/pdf/jyosansinohataraki.pdf
2006年当時は、助産師の自立や助産院・自宅分娩が話題になり、ちょうど産科医不足がその追い風になった時期ですから、この資料の「おわりに」を読んでも助産師の自立を鼻息荒く(失礼)語っている様子が伝わってきます。

おわりに
本冊子では「助産師が自立して助産ケアを行う体制」づくりのための具体的な方策を示すことをねらいとして作成した。先にも述べたように「院内助産院を推進する」といった用語を用いた方が明快であるといった議論があった。
実際的にも施設の中に完全に独立した助産所を持つべきであるという意見もあった。

方法論として、部門として独立したり、同じ設立母体で助産所を開設することも可能である。
いずれにしても正常な経過をたどる妊産褥婦と新生児は助産師が全てのケアを提供するという助産師自身の意思が必要であり、他の医療者は、高い安全性と快適性を利用者に保証するように協力して取り組む姿勢が求められる。

「自立」という表現は、この本音である「助産師が独立して分娩を請け負う」ことに付随した法的責任をいかようにも七変化させるものだと思います。
今回は、そのあたりを考えてみようと思います。


それにしても助産師が自立あるいは独立して正常分娩を請け負うために「他の医療者は・・・姿勢が求められる」、つまり医師に対し何と高飛車な態度でしょうか。
前回の記事のように「医師たちが最も自己犠牲を払って行ってきた問題についての明確な議論、回答は出されていない」と言われるのも当然かと思います。


<院内助産助産師の責任はどこまでか>


病院・診療所内に「基本的に助産師だけが分娩経過に立ち会う」独立した院内助産という部門を設立した場合、その助産に対する責任は誰にあるのでしょうか。


数々の「院内助産システム」に関する資料を読んでみましたが、いまだに明確にされたものを私自身はまだ読んだ記憶がありません。


たとえば院内助産で分娩が無事に終了したが、頚管裂傷や弛緩出血などの大量出血が起きたとします。
あっという間に数百mlぐらいの出血になりますから、その間に血管確保をし、医師に連絡をして緊急時の指示をもらい、医師が院内助産所に来るまであるいは反対に産科病棟へ診察と処置の対応のために搬送する準備をします。
院内といっても、産科病棟とは別棟にあれば医師が処置をし始めるまでに数分から10分ぐらいの時間のロスがでることでしょう。


7月14日の記事で紹介した、日本産婦人科医会の「助産師主導システムにおける助産師と産科医の連携について」http://www.jaog.or.jp/know/kisyakon/56_120711.pdfの中に参考になるデーターがあります。


15ページ目に葛飾赤十字病院の「(参考)院内助産システムで出血が1,500ml以上であった初産婦例の概要」という表があります。
出血量が1845〜2235mlまで4例が示されていますが、「医師到着」が分娩後4分、胎盤娩出後6分、8分となっています。
2例は頚管裂傷ですから、この場合医師が分娩中に立ち会っている施設では、出血が多い時点ですぐに医師が診察を始め、1〜2分以内には頚管裂傷縫合を開始できると思います。当然、総出血量も少なくなることでしょう。
輸血が必要な場合でもすぐに医師が指示を出すことができます。輸血の判断の遅れは母体のリスクをさらに高めます。


もしこの4例のうちのどなたかが不幸な転帰となった場合や出血多量による産後の体調不良で分娩経過に対する責任を問う裁判を起こした時など、その責任は誰に、どのように問われるのでしょうか?


「分娩経過自体は正常であり、助産師は責任を全うした」ということになるのでしょうか?
医師が対応するまでに時間のロスがあるシステムを取り入れた病院側の認識の甘さに責任を問われるのでしょうか?
それとも「分娩はいつ急変するかわからないことは専門職として当然の認識であるはずべきなのに、助産師だけで分娩介助をすることを求めた」助産師側あるいは看護部に責任を問われるのでしょうか?


実際的には、「院内」である限り独立して助産を行った助産師ではなく、経営している病院や病院長あるいは医師が最終的な責任を問われることになるのではないでしょうか。


このあたりの法的責任まで助産師が全てを負う「独立」した体制では決してないことが、「自立」というあいまいさの表現にせざる終えないところではないかと思います。


<院内助産所の法的な矛盾>


院内助産に関する法的矛盾が、医療ガバナンス学会のメールマガジンで書かれています。

臨時vol 101 「院内助産所に対する法的見解」
八木クリニック院長  八木 謙氏
http://medg.jp/mt/2009/05/-vol-101.html


だが、盲点はないだろうか。懸念されるのはこの助産行為が医療から切り離される為、医師の監視下に置かれなくなり分娩監視の法的責任が助産師の手に委ねられる事である。
助産師に対する法的な医療管理体制はどうなるか。


助産師側は保助看法によって「正常な経過は助産師だけで分娩介助をする」ことが認められている、と主張します。
この点に関しての医師法との矛盾を、八木氏は以下のように書いています。


医師は医師法下で助産(正常分娩も)を扱う。助産師は保助看法下で助産を扱う。両者の立脚する法律が異なる。医師法に縛られない、医療として扱われない助産行為が法的に存在する。
同様に保助看法に縛られない、医療として扱われる助産も存在する。医療として扱われた助産保助看法は介入できない。それは医療として扱われなかった助産医師法が介入しないのと同様である。


これが何を意味するのかわかりにくいと思いますので、看護師内診問題が起きた頃に日本産婦人科医会から出された資料に保助看法の中の助産についての解釈が書かれているのであわせて紹介します。


保助看法改正について」  平成17年12月5日
日本産婦人科医会医療安全・紛争対策委員会副委員長  石渡 勇氏
http://www.jaog.or.jp/japanese/MEMBERS/TANPA/H17/051205.htm

保健師助産師看護師法(以下、保助看護法)は昭和23年、全分娩の97%が家庭でおこなわれていた家庭分娩全盛期にできた法律で、助産師が医師法に抵触しないようにするためのものと解釈される。保助看法には、分娩監視装置、超音波診断装置、胎児・骨盤レントゲン計測などの進歩・普及により急速に診断技術が向上した現在の産科医療には不具合な部分が多々できたと言わざるを得ない。


つまり保健師助産師看護師法というのは、医療の中で働く看護系の専門職のための法律でありながら、助産の部分に関しては医療とは切り離して定めなければ医師法に抵触するため「助産師(婦)のみで分娩介助を法的に認める必要のある時代」があったと言えます。
そしてその保助看法自体の時代の変化の遅れによる矛盾が、今尚、「助産師の自立」を求める側の法的根拠にされているわけです。



八木氏の「院内助産所に対する法的見解」では以下のように書かれています。

さて今回のこの院内助産所医師法の通じない場所であるから、ここでの業務に医師は介入できない。助産師の判断がここでの最高意思決定となる。従来の医療の観点から見れば異例の抜擢である。薬剤師が薬を出すには医師の処方が要る。放射線技師も医師の指示の下でなければ患者の体に放射線を当てることが出来ない。検査室も同様である。これらすべて法で決まっている。従来の産科医療機関であれば助産師も医師の指示の下で動かなければならなかった。だが今回のこの院内助産所ではこのヒエラルキーが断ち切れる。また患者を院内助産所から病院側に移動する判断も助産師に任せることになる。つまりこの施設においては帝王切開の決定をするのが医師でなく助産師という事になるのである。

産婦人科医不足を院内助産所という姑息的手段で解決しようとすると必ず弊害がおきるだろう。現行法の助産師の業務規定は助産師が医療機関内で業務を行うことを想定していない。想定しているのは医師がいない場所で、医療とは別枠で扱う助産なのである。医療機関内で働く場合には薬剤師や放射線技師と同様に"助産師は医師の指示の下で助産を扱う"といった成文が本来なくてはならなかった。


医療機関でありながら「医療ではない助産の場所」を設置することの法的矛盾は、医師・助産師双方に責任の所在の不明確な部分を作り出すことになります。


助産師から報告がない限り医師が介入できない助産の場は、何かが起きれば判断の遅れ・医療介入の遅れが生じることになりますが、結局は「悪くなったときに医師に丸投げ」になります。


それは決して産科医の負担軽減にはならないのではないでしょうか。


そして責任の不明確さによって最も不利益を被るのが、産婦さんや胎児・新生児ではないでしょうか。




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