医療介入とは 11 <WHOの59か条、お産のケア実践ガイド>

前回の記事で紹介した「快適で安全な妊娠出産のためのガイドライン」でリサーチクエスチョンとして挙げられている項目は、1996年にWHOから出された「Care in normal birth:a practical guide」の流れを汲んだものといえるでしょう。


その翻訳が「WHOの59か条 お産のケア実践ガイド」(戸田律子訳、農文協)として、1997年に出版されました。
その頃から、病院での過剰な医療かどうかという視点はこのWHOの59か条を根拠に批判が展開されてきたという印象があります。


<WHOの59か条の背景>


WHOのレポートの原典は読んでいないので、日本語の翻訳版を参考にします。


序章で訳者の戸田律子氏が、WHOがレポートを作成するまでの背景について、1987年から「安全に母になる(Safe Motherhood)」プロジェクトが展開されたことを書いています。

1990年の国連の推定では約58万5000人の母親が妊娠・出産が原因で亡くなっています。その9割は中央アフリカ以南、東南アジアに至る発展途上国、残り1割が欧米などの先進国でのできごとです。
WHOは2000年までに、妊娠をしたことが原因で亡くなってしまったり、重い病気にかかる人の数を地球規模で減らす努力をしており、その仕事を「安全に母親になるSafe Motherfood」プロジェクトとして1987年から展開し始めて、今年でちょうど10周年を迎えました。

たびたび参考にさせていただいている国立成育医療センター、久保隆彦先生の「わが国の妊娠・分娩の危険性は?」を見ると、1990年の日本の母体死亡率は8.6人(出生10万対)ですから90人前後です。妊娠中や産後の死亡を含めても、世界中からみたらどれだけ少ないかがわかるかと思います。
http://www.oitaog.jp/syoko/fromKUBO.pdf

「安全に母になる」プロジェクトには、大きく分けて二つの流れがあります。
ひとつは、マタニティケアに関する社会事情の改善策を見出すこと、もうひとつが医療そのものの改善を図ることです。
前者の社会事情とは、私たちから見ればごく当たり前な手洗いなどの衛生管理や、簡単な応急処置ができて、異常が発生したときにはそれなりの医療機関に運べるという基本的な問題を指摘しています。
発展途上国の死亡例の大半は「出血が止まらなくなった産婦を20km離れた病院のある街まで、トラックで運ぶための費用が払えなかった」、「産後熱を出したときに、治療のための抗生物質がなかった」など、日本では考えられないような状況の中で起こります。
そもそも16歳にもならないような女性が、自分の意図に反して次々に子どもを産んでいかなければならないことや、栄養不足など、マタニティケアーをとやかくいう前にすべきことが山積みなのです。
発展途上国の死亡率も、少なくとも医療に手が届けば16分の1以下に減少することが知られています。

反面、「先進国では医療の質そのものが問われている」として以下のように書かれています。

こうした発展途上国固有の問題もありますが、WHOが「安全に母親になる」プロジェクトの一環としても取り組んできたもうひとつの流れである医療そのものの質については、先進国も大いに関係があります。
(中略)
1970年代からイギリスを中心に「有効な医療」を追求する動きが盛んになり始め、マタニティケアに関しても、ひとつひとつの処置に関して科学的有効性の検証を丹念に行っていく、気の遠くなるような研究の蓄積がまとめられています。
(中略)
海を渡ったアメリカでも、1995年に新しくアメリカの産科医婦人科医学会(ACOG)会長となったF・フリゴレット氏が就任演説の中で遅ればせながら「高い帝王切開率など、高い医学的介入率はアメリカの恥である。もっと科学的証拠*に基いた医療(Evidence Based Medecine)が行われるべきだ」と述べて、次々と診療方針の変更を変えつつあります。
こうした動きの中、WHOでも「科学と技術の諮問委員グループ」が編成され、科学的検証を任務として有効な医療の追及が行われました。
最新の信頼できるデーターを用いて専門家による討論が行われ、効率の良い有効な医療を追求していった結果、正常なお産についてのガイドラインが誕生したのです。

(*引用者注:通常は「科学的根拠」という言葉使われています)



<WHOの59か条をどう捉えるか>


世界は広し、です。


かつて開発途上国で3年ほど暮らして働き生活した時の体験から、こういう医療を常に受けられる日本は幸せなだぁという思いが強かった私は、「WHOがその処置はすべての産婦にする必要はないと言っている」という主張を聞くと、それを望んでも手に入れられない人たちのことが浮かんできて複雑な気持ちでした。


医療をふんだんに受けられる国と受けられない国のそれぞれの悩みというのでしょうか。


また「科学的根拠」と言われても、実際には医療の質はコストにも大きく左右されます。アメリカのように基本自費診療の場合は、医療も高度化・高額化しつつ、保険会社の意図も大きく反映されることでしょう。


イギリスのように医療費無料のシステムであれば、やはりどこかでコストカットを図るための検証が行われることでしょう。
産科専門医に会う回数を減らして、家庭医や助産師が対応するというように。


「医療の質」というのは、社会的モデルや政治に大きく影響を受けるものです。
日本でも今後産科医が減り病院での出産を制限していく必要性があれば、「助産師の分娩介助で安全」という科学的根拠を示すための研究がたくさん実施され反証のための研究はあまり省みられない可能性もあることでしょう。


また臨床で実際に分娩介助する側にとっては、WHOの59条の中では同じ項目が「明らかに有効で推奨されるべきこと」と「明らかに害があったり効果がないのでやめるべきこと」の両方の解釈が可能な部分もあったりしてとまどいます。
目の前の産婦さんに「絶対にこの産婦さんは分娩後、異常出血はおこさない」と判断できる方法が確立されれば、私たちも「余計な点滴」はしなくなるでしょう。
でも、そういう完全な方法はありえないのです。
それが医療の不確実性、あるいは医療の一回性(同じ状況を再現できない)といわれることだからです。


「科学的根拠」とはどういうことか、悩みます。



持てる国と持てない国の両方で生活した時の葛藤や、あるいは日本でも不十分な医療だった時代の記憶が私にも多少あります。
次回からは、そんなおもいっきり個人的体験に基く話でいくつかの医療行為や医療介入について書き、そのあとそれぞれの「科学的根拠」をどうとらえるかという進め方で考えてみようと思います。



「医療介入とは」まとめはこちら