医療介入とは50 「仰向けのお産」は医療者の都合?

アクティブ・バースやフリースタイル分娩について、医学的あるいは看護学助産学的には統一した定義はまだなさそうです。


「医療介入とは 49 <アクティブ・バースとフリースタイル分娩>」で紹介したように、フリースタイル分娩では「産婦の身体や精神を抑圧から解放する」ことが重要と考えている人たちもいます。


ところが「抑圧とは何か」「今までの産科施設での分娩では産婦さんの身体や精神の抑圧がどれだけあったのか、実際にあったのか」という点になると、具体的なことは書かれていません。
漠然と、「なんとなくわかる気もする」という部分はあります。


そして漠然とした問題点がそのままになって、「フリースタイル分娩」は産婦さんの快適性に良く、分娩の満足感も高く、回旋異常や会陰裂傷などの産科異常にも対応するかのような「万能感」で紹介されているように思います。


また「フリースタイル分娩を取り入れています」と謳えば、あたかも新しいことや良いこと、あるいは産婦さんの快適性だけでなく助産師のやりたいことを取り入れている働きやすい施設というイメージアップになる魅力的な言葉なのかもしれません。


でも案外そういう言葉を使わなくても看護の本質というところからちょっとした工夫で改善できる部分が多いのではないか、という思いを私は「フリースタイル分娩」という表現に強く感じてしまうのです。


あるいは実際には病院や診療所の分娩でも十分に配慮している点でも、「フリースタイル分娩」という表現の前には「今までの施設分娩にはない」なにかがあるように思わされている点も多々あるのではないかと感じています。


そんなことを何回かに分けて考えてみたいと思います。


<「仰向けのお産」とは>


フリースタイル分娩の中では、「仰向けのお産」「仰臥位」「水平位」などが医療者の都合や医療者主導のお産であるという批判や、人類の本能的なお産に反した体位であるという批判が必ずあります。


ところで、分娩には子宮口や産道が柔らかくなって開いていく間の陣痛をのがして過ごす分娩第1期と、胎児が次第に産道を降りてきて娩出されるまでの分娩第2期に大きくわけられます。


さらに、胎児の頭が少し見え始めて生まれる直前になると、赤ちゃんを受け止めるために消毒した清潔なマットを敷いたり準備をします。


その分娩1期、分娩2期そして分娩2期でも児娩出直前の時期の3つの時期の対応について、あたかもずっと「医療者側の都合」が優先されて強制的に同じ姿勢をとらされてきたかのような印象を持ちやすいのではないかと思います。


実際には、分娩1期はハイリスクで厳重な分娩監視が必要な場合を除いて、基本的には産婦さんの自由な姿勢を重視している施設がほとんどではないかと思います。


二十数年前の助産学でも、「分娩第一期は、産婦の快適な姿勢にまかせる」と私は教わりました。
現在のような研究論文の比較によって科学的根拠を導き出す時代ではなく、長い間の助産の経験則から得られた知識が中心ではありましたが、すでに施設分娩が主流になってから30年ほど過ぎた時期につくられた教科書にそのように書かれています。


病院での施設分娩でも、分娩第1期は「産婦の快適な姿勢にまかせる」ことが基本でした。
むしろ、「寝ているとお産は進まない」という意識が助産師側には強くあり、廊下を歩行したり、座位になることを積極的に勧めていました。


ですから厚労省科学研究の「科学的根拠に基づく快適で安全な妊娠出産のためのガイドライン」の「RQ4:分娩中、終始自由な体位でいるか」の中で、以下のような記述を目にすると、それは現状を正確に表現しているのだろうかという違和感があります。

推奨
 分娩第1期において、胎児の安全性が確保できるのであれば、産婦はできるだけ、拘束のない自由な姿勢で過ごすことができるように配慮されるべきである

http://sahswww.med.osaka-u.ac.jp/~osanguid/RQ4saisyuu.pdf


フリースタイル分娩という言葉がない時代から、日本の助産師は陣痛を乗り越えるためには産婦さんの自由な姿勢を重要だと教わり実施してきた施設が多いと思いますので、もしそれでも分娩1期に「医療者側の都合」を強く感じたり快適性が損なわれたと感じるのであれば、それは何か別の理由があり別の対応法で解決できたのではないでしょうか
そのあたりは、また後で考えてみたいと思いますが。


私自身は、分娩第1期に「積極的に動く、姿勢を変える」ことはむしろ産婦さんは快適ではないと感じている場合もけっこうあるのではないか、いろいろと姿勢を変えたり動くことを勧められることのほうが「医療者の都合」や「拘束」と感じる産婦さんもいらっしゃるのではないかと、最近は思うようになりました。


フリースタイル分娩とか主体的分娩という言葉から、もう少しそれこそ自分自身を解き放って、陣痛を過ごすことについて歴史をあれこれ想像しながら考えてみたいと思います。