医療介入とは 38 <畳の上のお産について>

畳というと「畳の上で死にたい」と表現されるように、「自宅」の隠喩とも言えるかもしれません。


それはできるだけ心穏やかな状況を求めている気持ちなのではないかと思います。


現実的にはどうでしょうか。
たとえば、私の両親も高齢になり足腰が弱くなった頃から畳の上に座ったり横になることが苦痛になり、椅子やベッドの生活の方が楽になりました。


病院や介護施設でベッドが早くから導入されてきたのも、医療者の都合だけではなく、実際にベッドのほうが畳よりも高齢者にとっては動きやすいという点もあります。
ですからベッドのある病院ではだいぶ動けるようになったのに、自宅の畳の生活に戻った途端に動かなくなってしまうということもあります。


また「住み慣れた我が家で息を引き取りたい」という自分の死をどう受け止めるかと言う気持ちが、「畳の上」と表現されるのだと思います。
でも実際にはころっと死ぬことは少なく、だんだん身体機能が落ちいろいろな疾患を抱えながら老いていくので、少しでも症状があると不安になって病院にいくことが多くなります。
実際に日本で大半の方が病院でなくなる背景にも、こうした理由があるというのが臨床で感じた印象です。


あるいは、退院したくない方の社会的入院をなぜ長いこと病院が受け皿になってきたかといえば、高齢になるにしたがって、病院や介護施設に入っていつも誰かに見守られている安心感のほうが「畳の上で死にたい」願望にまさるのかもしれません。



<畳の上で出産してきたのか>


出産において「畳の上」というのは、何の隠喩なのでしょうか。
自宅にいる安心感、リラックス、家族に見守られている、さらには自由や主体的といったことろでしょうか。


現実に、どうだったのでしょうか。
畳というのは私が子どもの頃でも「汚してはいけない」高価なものでした。
できるだけ日焼けしないように、表面を傷つけないように家具の配置や敷物などで大切に使っていた記憶があります。


分娩というのは、想像以上に血液や羊水が飛び散ります。
それを貴重な畳の上で行っていたのでしょうか?


「医療介入とは 19 <胎児の安全がわかるようになった時代>」http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120921で、「出産の文化人類学」(松岡悦子氏、海鳴社、1985年)を紹介しました。


その中の、明治生まれの助産婦、山口さんという方からの聞き書きの中の山口さんの実母の分娩の様子が書かれた部分があります。

そう。もう自分でちゃんと床作ってね。そこへ座ってたみたい。自分でできることは全部自分で用意していたみたい。こう畳おこしちゃってね。藁を敷いてね。あれだったら通るから。そして藁のやわらかいところをむしろみたいに厚く敷いて。その上にきれを敷いて。産褥ぶとんですか。ふとんまでいかないね。お産したらそっくりそのまま捨てるの。藁といっしょに全部捨ててね。胎盤も全部ね。(胎盤については、上田さんの記憶ははっきりしていない)。そして別な新しい藁をしいてね。そして1週間座って。そして一週間たったら、それもまた取って、畳敷いてふとん敷いて寝るの。


畳や布団の上で産むどころか、産後1週間たたなければ畳の上に寝ることもなかった様子が書かれています。


私は自分で言うのもなんですが、分娩室の後片付けに関しては人一倍きれい好きです。
分娩の後、分娩台や床、流しなどこれでもかというほど拭いて、血液が残らないように清掃します。
それでも後でよく見ると「こんなところまで飛び散っているのか」というほど、血液や羊水がついています。


なので、畳やお布団の上でのお産を宣伝しているのを見ると、写真はとてもきれいだけれど本当に大丈夫なのかなと心配になります。
血液が付着した畳やお布団を簡単には使い捨てにはできないですから。


実際に取り入れている施設ではそういう感染対策基準はどうなっているのか関心があるのですが、そういう実際的なことは公開されていません。


血液や羊水などに日常的に触れる機会が多いのに、産科の感染予防対策の標準化はとても遅れていると思います。
遅れているというよりも、ゼンメルワイスより前の時代に戻ろうとしているのかと思うこともしばしばです。


また、血液や体液が付着しているかどうかだけでなく、床というのは「不潔」というのが医療従事者の認識だと思います。
その点から、畳あるいは床の上での出産について次回書いてみようと思います。